シナリオに改変 

 ザワザワとしている周囲とは裏腹に緊迫した空気が漂う。
ユウ「……は? ナニ言ってんのさ?」
 肩に付くか付かないかの黒髪が揺れた。
 黙って笑っていれば猫のような可愛い女の子なのに、とギンは思う。
 乾いた音をたててグラスが割れる。咄嗟にギンを殴ったユウは殴った
衝撃で痺れる手も気にしないでもう一度同じ言葉を吐きだす。
 感情が高ぶっているせいか声が震えていた。
ユウ「もう一度言ってみてよ」
 痺れた手が痙攣している。
ユウ「……もう一度」
ギン「何度でも言う」
 間髪いれずにギンが喋りだす。
 低く抑えられた声にユウが息を呑む。不安に肩が震えて、今にも泣き
出しそうな姿は見たことがなかった。
ギン「もう……終わりにしよう」
ユウ「……ッ!」
 目を見開いて水の入ったコップをテーブルへと叩き付ける。突然の出
来事に周囲から悲鳴が上がる。ユウは歯を食いしばったまま興奮のあ
まり息を乱している。
店員「お、お客様……」
 駆けつけた年若い店員にユウの目が向いた。
ギン「近づくな! 危ない」
店員「へっ、ひっ、あぁぁぁぁ!!?」
 ギンが叫んだすぐ後に店員の悲鳴が響き渡った。
 ナイフやフォークの入った器を投げつけられ、両手で顔を覆ってしゃが
み込む店員を見下ろし、肩で息をするユウは日常からは考えられないよ
うな恐ろしい形相をしていた。
 猫のような気まぐれで愛らしい部分など見えず、目を涙で溢れさせて
怒っていた。
ユウ「キミなんかいなくても、僕は一人で平気だよ。
 消えたいなら消えたいで消えたって、僕はなんとも思わない。僕を裏
切るならさっさと消えてよ、消えないと怒るよ。
 その顔だって、潰してやるから」
 顔と行動は怒り狂っているが、声は平静を保っていた。
 言っている内容は常識を逸していることをユウ本人は気付いていない
ようだ。鋭い眼差しでギンを睨んでいる。
 言い聞かせるようにギンはゆっくりと喋りだした。
ギン「俺といることはお前のためにならない。
 お前はやるべきことがあるだろう? 俺とお前じゃあ住む世界が違う」
ユウ「何が違う?
 僕はママのお腹から生まれたよ、ミルクで育って、学校行って、友達作っ
て、夏休みの宿題やったよ。新学期から遅刻しそうになった友達を迎えに
行ったよ」
 早口でまくしたてるユウが笑った。
 高ぶりすぎた感情をどう処理していいのか分からないようにフラフラと頼
りなく手を振り上げて、ギンの傍へと歩み寄る。
ユウ「朝礼で早速居眠りして怒られたよ。キミと、どう違う?」
 確認するように問うと、ユウは手を振り下ろした。
 力加減もバランスもとれずにその場で転んで、ギンに抱きとめられる。
 胸に顔を埋めて笑い始めた。
ギン「ユウ……聞いてくれ」
ユウ「ははは。ははははは」
ギン「聞いてくれ。俺の声に耳を傾けてくれ……」
ユウ「はは、ははは。ははははは」
ギン「頼む、ユウ。ちゃんと聞いてくれ」
ユウ「ヘンなこと言ってないでさ」
 突然、ユウが顔を上げた。
 ニッコリと笑っている顔は昼に会った時とまったく同じ満面の笑みだった。
 立ち上がって両膝の埃を払い落としながらギンを振り返る。
ユウ「ねぇ、遊ぼうよ。今日はいい日だよぉ? よく晴れて、暖かい日だよ?」
 外を指差してギンの手をとる。
ギン「ユウ。俺の話を聞いてくれ」
ユウ「そうだ、僕のウチにおいでよ」
ギン「お前の家に俺は行けない」
 ユウの手を振り払ったギンは真剣な声で言う。
 ピタリと動きを止めたユウの目が泳ぐ。壁、天井、壁と順番に移動すると
最後に床を見つめたまま動かなくなった。
ユウ「あぁーだめだよねぇ、キミは裏切者だから……僕のウチに入れてあ
げない。犬小屋で遊べばいいよ、ね、ね、ね。キシシシシシ……」
 感情が定まらないようだった。声の抑揚まで定まらない。
 上下する声と歯の間から息が漏れるような笑い声が呼吸の音のように
続いている。
ギン「ごまかすな。ごまかさずに現実を見るんだ」
 ユウの細い肩をギンの無骨な手が掴む。
 拒絶はされなかった。
ギン「お前が本当にいるべき場所はここじゃない」
 笑い声は続いている。
 ギンの声を聞かないようにそっぽを向いて笑い続けている。
ギン「お前の手は俺よりも小さいが、お前の手は大きなものを助けるため
にあるんだろう」
ユウ「何言ってんの! そんなゲームみたいなキシシシシシ」
ギン「思い出せ。お前の現実はゲームのようなものじゃないだろう」
ユウ「ゲームだよ! あんな魔法だのモンスターだのっ! 僕は現実でキミ
と一緒にいたいのにっ!」
ギン「落ち着け。お前が本当にいるべきなのは……」
 ユウの頬に触れて、まっすぐな目で見つめる。
 目が合ったユウは息を呑み、両手で耳をふさいだ。
ユウ「煩い、煩い、煩い!
   キミに言葉を言う権利はない、何もない!」
 金切り声で叫んで頭を振る。
ユウ「お前は僕の操り人形でいればいいんだよっ!!
   お前が自我をもつ必要なんてどこにもない! 何も言うな、邪魔するな!」
 肩で息をしながら叫ぶユウを抱きしめるギン。
 優しく頭を撫でながら、包むような優しい声音で告げる。
ギン「必要なくても俺は言う。
   それがお前のためだ……きっと。俺が生まれた意味はそこにある」
 ハッと気付いたように顔を上げるユウ。
 抱きしめる腕に力が入ったことに気付いて瞠目し、何かを叫ぼうと口を開
くが息だけを吐いて、そのまま口を閉じる。噛み切った唇から血が流れた。
ユウ「僕のためって……なんだよ。僕は……」
 溜息のような小さな声で呟いて、そのまま言葉に詰まる。
 涙が溢れて嗚咽が漏れそうになった。
ギン「俺は本物じゃない。お前の夢だから」
 優しく囁いて、目元に口付ける。
 堪えきれなくなった嗚咽が漏れ始める。
ギン「お前がいるべきなのは……」
ユウ「待って……」
 声にならないくらいに小さいユウの言葉を遮るようにギンが口を開く。
 優しく、優しく、感謝の意を表すように。
ギン「お前がいるべきなのはここじゃない」
 突然、周囲の音がなくなる。
 ユウの嗚咽だけが響いて、嗚咽が何重にも重なる。
 その中で一つだけ聞こえる無気力な声。
ユウ「……氷って冷たいなあ……」
 風の音と水が流れる音しかしない場所でユウは寝転んでいた。
 あたり一面が氷山になっており、その中には見知った顔がいくつもある。
 ぐるりと見回して深く息を吐く。
ユウ「ずっと寝てたかったのに。意地悪だなあ……夢の中のキミは」
 コツンと氷を叩いて、その中で眠っているギンを見る。
ユウ「……眠いよ、寒いし、ねえ……あっためてよ。
 キミなんていなくても平気だけど、僕は寒いと死んじゃうんだよ。
 キミがあっためてくれないとだめなんだよ。キミなんていなくてもいいけど、寒いよ」
 頬を寄せて、まるでねだるように甘い声音で告げる。
 答えは返って来ず、風の音だけが聞こえている。
ユウ「ここが僕の居場所なら……キミもいなくちゃ」
 甘えたような声がだんだん弱弱しくなる。
 肩を震わせ、込み上げてきた涙を堪える。
ユウ「一緒に……いようよ……一緒に」
 ギンが氷付けになった瞬間を思い出して声が震える。
 とうとう涙がこぼれた。
ユウ「……ギンちゃーん……一緒に遊ぼうよ……
   僕を、一人に……しないでよぉ……」
 その場で泣き崩れる。
 泣き声だけが響き渡って、風の音も水の音も聞こえなくなる。
 しばらくの間、それが響いていたかと思うとふいに声が止む。
ユウ「ひとりにしないで」
 小さく、弱々しく、それでも強い意志のこもった言葉を呟いたと同時に、水の中
に飛び込むユウ。ぼちゃんと音がしてそのままキシシシと笑い声だけが聞こえてくる。
ユウ「ずっと、一緒にいようよ。ねぇ……ギンちゃん」
 音がすべて消える。

 

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