火柱はまるで天への挑戦であるかのように高く昇る。それらが燃やし
尽くす命の炎は、本来還るべきである土地へと戻ることを許さず、その
ままニヴルヘイムの地下へと封じ込める。
魂喰らう大陸――ここに住むものたちが今でも魔族と呼ばれる由縁。
夕莉はカロンを携えた右手を、近づいてくる大量の戦艦へと向けた。
「十時の方角！ 動力を狙って炎の魔術を遣え！」
夕莉の背丈ほどはある大鎌を、まるで采配を揮うかのように振り回す。
風を切る音と同時に詠唱が反響する。百名弱の、魔術士の凛とした声が
響き渡り、再び巨大な炎の柱が何本も、何本も天へと昇る。
「誰一人として生かすな！ ――陸戦部隊に伝令を出せ！」
漆黒の瞳が浜辺へと打ち上げられる生き残りの人間と、それらと混ざっ
た死体を見据える。砂浜の上で立ち上がった人間を射るは、そこに配置し
た魔族の矢。
血を吐いて倒れる人間の姿を眺めているヒマなどない。夕莉は口の中で
小さく言の葉を紡ぐと、下半身が鳥のようであり、そして両腕が翼になって
いる、魔族でも希少種のハーピーへと魔力で紡いだ密書を渡す。
「近づく戦艦はすべて沈めろ！ 僕は殲滅に入る」
副官へと告げ、夕莉はガケから飛び降りる。その体をカロンが拾い上げ、
そのまま上昇して人間たちが流れ着いている場所を目指す。
先ほどからコウモリたちの呼び声が絶えないのだ。
それなりの人数がニヴルヘイムへと流れ着いたらしい。結界に焼き尽く
されずに入り込めた人間がいるということは、それほどまでに広い範囲に
売られたのだろう。あの宝石のような眼球は。夕莉は小さく舌打った。
「運のいいヤツらだな」
生ぬるい風を頬に受け、手の中に魔力の塊を生成する。それが感じ取る
のは殲滅に必要な、裏切者の捜索――グレイの情報によると、死んだ前魔
王の部下の大半は人間と交流しており、時には禁忌の行為を、魔族の子供
の眼球を高値で売りつけていたらしい。
魔力をもたない人間からすれば、簡単に魔力を手に入れられる魔族の眼
球は願ってもないものだろう。売れるのも理解できる。
だが――
「金がほしいならテメェの眼球を売りつけやがれ！」
一番最初に仕留めたのは、王を殺めた際にも似た顔を見た貴族。家族か、
はたまた生き残りか。そんな細かいことなど、どうでもいいのか夕莉はカロンの
切っ先で特攻するように、貴族の体を両断した。
転がる上半身。それを追うかのように、下半身がゆっくりと倒れる。
すぐ近くで聞こえる短い悲鳴。
「よぉ。人間――死神が来たぞ」
「ひ、ひ……ぃぃ！！ ば、化け物ぉっ！！！」
叫んだ口は閉じることなく、開かれたまま両断される。血を噴出しながら倒れ
る、その人間の亡骸の始末を野性の魔獣へと託して、夕莉は再び飛び上がる。
「……化け物、なぁ」
少しだけ、考え込んでいるかのような顔をして。
返り血を浴びすぎてローブが臭い。
夕莉はその場で自分目掛けて、威力を弱めた水の魔術を放つ。足元を濡ら
すのは赤の混じった、汚らしい水。自らの歩んだ道の垢。
夕暮れ時の空の色のように美しくは、なれない色。
「……へっ。おい！ そこにいんだろ」
カロンが勢いよく飛んでいく。その刃を紙一重の所で防いだ魔族の青年は、
緑色の瞳でまっすぐに夕莉を見据えた。
「何の用だ」
「ナナセ様、私の父は不正を働いていました。
けれど、けれど――あのように惨い殺し方をされていいはずがありません。
王とて同じです！！」
強い意志を秘めた眼差し。
ギチギチと鍔迫り合っている刃は決して安いものではない。ここしばらくの間
に狩って来た契約違反者の親族であろう。身内の死に憤りを感じるのは当然
の感情だ――少なくとも、その身内のために死地に赴けるというのは、そうい
うことであろう。
夕莉はカロンを退かせはせずに、青年へと静かな眼差しを向けた。
「仇討ちか？」
「――はい、そうなります。
あなたはいずれ、次の王すらも殺めることを躊躇わない者になるでしょう！」
青年の言葉に夕莉は少なからず動揺した。
次の王といえばアイツ――深山結梨。確かに彼は夕莉の最も大切な友であ
り、同時に次の魔王陛下。友人の兄ですら殺めたこの手ならば、友人を殺め
ることも躊躇わないだろう。
あの、蛇のような腕に絡まれてしまえば。何もできない。
「……ふん、言うじゃねえか――」
震える右手。震える左手。
その手の中には魔力によって構築される、特殊な短剣。
「僕は双黒の大魔女、ナナセ=ユーリ……断罪者。
私事を戦に持ち込み、上官の妨げとなった――軍法違反だ、始末する」
「覚悟の上です」
カロンを払いのけ、青年が一気に距離を詰めてくる。戦い方を詳しく知らな
い夕莉との勝負を一気につけるためだろう。大鎌が戻ってくるよりも前に、夕
莉の命を奪えば――
迫り来る白銀の刃をまっすぐに見据える夕莉の瞳に、自分ではとうてい扱え
ないだろうと思えるような大きさの刀身が映る。それは迷いもなく、振り下ろさ
れて。
「気配もまともに読めないクセに粋がんな。そもそも仇討ちの時点で死刑だっ
ての」
燃え尽きた、青年の亡骸であったものを見下ろして呟く。
その肩には深い傷が刻まれており、夥しい量の血液が流れ出ていた。
「ナナセ様、ご無事――ではない……く、早く。この薬を」
大剣の血を振り払い、サヤへと収めたアシュレイドの大きな手が、夕莉の傷
口へと白い軟膏のような薬を塗りこむ。
頬に返り血をつけたまま――
「僕を助ける必要なんてどこにあった」
抵抗はしない。だが、決して受け入れてるわけではない。
夕莉はアシュレイドへと向ける瞳の温度を下げた。
「……私が、そうしたかっただけです」
ずいぶんと温かい顔をする。つい先ほどまでは凍りつきそうなほど、張り詰め
た表情を浮かべていた顔だというのに。
「おせっかいだな」
吐き捨てるように呟く夕莉の傷口を白い布で覆い、手早く応急処置を済ませる
と、アシュレイドは不機嫌そうな――それでも本心は困惑しているのだろう、口が
少しだけ開いている。
「この者はナナセ様、あなたを愚弄いたしました。私はそれが許せなかった」
「……頭、沸いてんの？」
アシュレイドの手を払って立ち上がる。血に濡れた黒いローブを翻して、夕
莉の足をカロンが攫う。
「いいえ。私の頭は正常です」
「おかしいっつの」
「ナナセ様！」
「煩い、黙れ。僕に干渉するな」
凍りつくような声だった。冷たい眼差しに射抜かれたか、アシュレイドは口を
半開きにしたまま、なにか言葉を探すような顔をしていた。その姿を振り返ら
ずに、夕莉は再び空を駆る。
血の臭いが、どこもかしこも、とれない。
化け物と呼ばれるほどに恐れられた自分を大切に扱う、あの男の真意がわ
からない。
頭が痛い。
手が、何かを求める。
ああ――ダメだ。また、蛇が来る。
恐ろしく、優しい、残酷な蛇が。
――化ケ者ハ、王ヲ殺ス。化ケ物ハ、皆殺ス――
誰が、誰が望んで殺しているか。