――戦い方なんてしらない。
でも、この体は何かを知っている。
だから、戦うことを決意した。
必要だと、理解してるから。
理解……しているから……
与えられた黒い軍服は、初めて身に纏ったというのに何十年も着てい
たかのようにしっくりとくる。黒で統一された上下の服をコルセットのよう
なもので止める。
所々に散りばめられた宝石の欠片のようなものが淡い輝きを放ち、
ゆっくりと溶けていく。
それらが完全になくなると同時に、アシュレイドが口を開いた。
彼もまた、その他大勢が着ているのよりは装飾の多い軍服に身を包み、
真剣な表情で大剣を天へと掲げた。
「かの門より参った、双紅の大魔導師キルケの転生体――双黒の大
魔女殿。
我らは魔神王アスタロトが築きし国を守るため、幾百万の民を守る
ため戦
うことを誓う。
どうか、お力をお貸しいただきたい」
大剣をサヤへと収め、跪く。その遥か後方には漆黒のローブに身を
包む、魔族たちが存在する。彼らはすべて彼女の部下として配属され
た者だという。
彼女は息を吸い、寄り添う大鎌カロンを指先で小突いた。
「……僕にも、守りたいものがある。戦おう――全力で」
歓声が上がる。
それは彼らが待ち続けた希望。
運命の三女神が微笑むように、歯車は音をたててまわり始める。
アシュレイドが声を張り上げた。
「零番隊特攻隊長、ナナセ=ユーリ! 今、ここに任命する!」
足音が聞こえる。
始まりの音が聞こえる。
これが始まり。
さぁ、行くよ。
港に配置された彼女らを迎え撃つのは重々しい鎧に身を包んだ者たち。
部下は彼らを人間と呼んだ。彼女は一瞬だけ言葉を失ったが、すぐにカロ
ンを握るその両手に力を入れた。
「始める、始まり……怖いはずが……あるかっ!!」
人間なんて憎悪の対象でしかない――そう、思っていただろう?
脳裏で呟いて、彼女はカロンから手を放す。刹那、それは彼女の願いど
おりに躍りかかってきた人間の一人の首を切り落す。
それが転がるのを皮切りに後方から凛とした声が響き始める。
風が吹き荒び、その刃は白銀の鎧を傷つける。繋ぎ目から露出した肉体
が切り刻まれ、血を吹く。白銀を赤黒く染め上げて倒れていく人間たち。
それらを、見ながら彼女は脳裏に浮かぶ言の葉を紡ぎあげる。
「猛れ。母なる其の大地よ。
愚かな罪を繰り返せしそなたの子らを粛清せよ!」
振り上げた手の平に熱が集まり、思い描いたとおりの軌道で地面に罅が
入る。それは何本もの槍となって、向かい来る人間たちを串刺しにしていく。
天へと伸びるいくつもの細い塔――それに突き刺された人間たちは天への
供物か。
血の雨が降り注ぐ中、彼女は本能が告げるままに指示を出した。
「敵の大将を倒す! お前らはここでザコどもを迎え撃て!!」
鬨の声があがり、風を中心にした魔術が遣われる。その風の中を潜り抜
けるようにして、彼女はカロンへと足を乗せた。風を切る感触が、頬を過ぎ
ていく。
――何人も、カロンに触れることは叶わない。
その鋭い刃によって四肢を切断されるか、その命を刈り取られるか。まる
で選択を迫るかのように近づく真紅の刃。それを前にして正常さを保てる人
間のなんと少ないことか。
長い黒髪をなびかせる彼女を見ただけで悲鳴をあげて倒れこむ人の命を
も刈り取り、一人と一つは港に停泊している船へと一気に距離を詰めた。
装いの違う鎧。
戦い慣れしていない彼女ですら分かる、血の匂い。
人を殺すことを罪とも思わない連中の放つ殺気。
彼女は冷たい地面へと足をつけ、
「我が望むは地獄の業火。
闇より来たれ、煉獄の焔!」
人間たちが近寄るよりも前にそれを紡ぎ上げる。自分を中心に展開した
炎の魔術は一気に距離を詰めてきた人間の剣を溶かし、その肉体を焼き
尽くしていく。
肉が焦げる臭いが鼻をついたのは一瞬。あとは――海の匂いしか残らな
かった。
「アンタが大将か」
皮膚一つ残さずに消えた人間たちとは違う。先ほどの炎を防いだ男がいた。
兜を身につけず、緑色の髪を揺らして不敵に笑う男――見覚えのある、顔
だった。
「ずいぶんと飲み込みがいいんだな。同族殺し」
「――っ」
頭痛が走る。
知っている、この男は自分が人間であることをっている。誰だ――ふいに過ぎ
るはフェンリルという青年に腕を引かれて走っていたとき。シュテルンに撃退され
た男の存在。
自分に何かを言っていた、男の存在。
「本当は魔族に染め上げられる前に助けてやる予定だったが、かわいそうにな、
騙されて人殺しになっちまいやがった」
「これは……これは戦争だ。人殺しも何もあったもんじゃねぇ」
冷めた声で告げる。それはあの世界にいた頃の彼女自身の声――憎悪しか、
持っていなかったあの声。しかし、その奥に生まれた感情を知っているかのように
男は口元に嫌な笑みを浮かべ、
「けど、本当は殺したくなんかないだろ? 哀しいだろ? 血に染まった両手が」
「……うっせぇ……黙れ」
カロンから手を放す。大鎌は言葉など必要とせずに男へと斬りかかる。しかし、
その切っ先を自らの剣で受け流し、彼は彼女を嘲笑うかのように告げた。
「さっきから魔術か、この大鎌でしか殺してねえよな。まるで自分の手に人殺しの
感覚が残らないようにするためみたいに見えるな」
「……違う」
「まぁ、仕方ねえよな? 女のテメェにゃあ人殺しの枷は重すぎる、戦うのは厳し
すぎるもんなぁ」
男の言葉に彼女は激昂した。
「違う! 僕が女だと? そんなことはどうでもいい、僕は女なんかじゃねぇ!」
「じゃあなんだ」
「僕は――女じゃない、女を捨てて、戦う……そうだ、死神だ、そうだ」
ふん、と鼻で笑われる。
「じゃあ――」
いつの間に背後に回られたのか、一つに纏めた長い黒髪を掴まれる。引っ張り
あげられ、苦痛のあまり目をしばたく。
彼女の視界に入るのは緑の髪と、青い瞳――人間離れした、美貌の容姿。
「アンタ、魔族だな……なんで裏切った」
「テメェと同じだ。オレは魔族を憎んでる――いや、同じじゃねぇな。小娘」
男の青い目が見る見るうちに冷めていく。冷たい、それはまるで刃のようで――
「女を捨てた、だ? 口先ばかりで粋がってんじゃねえぞ、ガキが」
大剣が、脇腹を貫く。そこを中心に広がる痛み――いや、すでにそれは激しい
熱としか呼びようがなかった。激痛に歯を食い縛り、流れ出る血液の予想外の温
かさに苦笑する。
掴まれた髪へと手を伸ばし、彼女は深く息を吐いた。
「背中を押してくれてどうもありがとよ。クソウゼェ、そうだよ、忘れてたよ。
この世界があまりにも暖かくてな、忘れてたよ」
漆黒の瞳に憎悪が走る。それは彼女が持っていた激しい感情――
「そもそもなぁ、僕は昨日の時点で同族だろうがなんだろうが、殺してんだ。
この手は血に染まりきってんだよ!!」
カロンをその手にして、人間業とは思えない動作で掴まれた髪を切る。バラバラ
と散る黒髪を惜しむ間もなしに彼女は一気に男の懐へと潜り込んだ。
「泣きたい、とか思ったさ。人殺しの自分を哀れんでな。けどちげぇ……僕がす
べきことは」
大鎌が唸り声を上げる。
世界が揺れたかのようにも感じる強大な力の覚醒。それは漆黒の髪と瞳の少
女を包み込み、やがては世界すべてをも覆っていくような予感を抱かせる。
「――――――」
笑んだ唇が何かを告げる。
それは唸り声に阻まれて聞くことはできなかったが、男は余裕にみちた笑みを浮
かべて大鎌に斬り付けられながら、爆風に飲まれた。
海が割れ、大地が騒ぐ。
風が刺さり、炎が踊る。
誰もいない港には血塗れの亡骸が重なり合うようにして倒れている。
そこに佇む少女は血を吐きながら、笑った。
自らを嘲笑うかのようにして笑った。
「……終わりにしてやるよ、こんな戦争。
そうだ……二年だ。それだけありゃあ……」
大鎌が風を切る。
人を殺すことを躊躇わなくなった少女を乗せて、風を切った。