炎のような女がいた。
 それは全力で燃えて、燃えて、そして燃え尽きた。
 紅の空に散る光は彼女の涙か、魂か。
 彼女へと向けられた想いの全てが世界を変える。

 この美しい世界は彼女の理想。
 この麗しい世界は彼女の願望。

 この世界で何よりも愛しい者のために戦った彼女の想いの証。
 自分という存在すべてを投げ打ってまで得ようとした宝。
 その汚れ無きたましいは粉々に砕けて―― 
 涙を流す愛しい人に抱かれた。
 お願いだから泣かないで。
 あなたを悲しませるために私は戦ったのではないのだから。
 笑って、微笑んで、優しく。
 私を救ったあのときのように。どうか笑ってください。


「……夢……?」
 ボサボサになった髪を手で梳きながら、彼女は頬を伝う涙の存在に気がつく。それを乱暴に寝巻きの袖でぬぐいながら、彼女はベッドから這い出た。窓から向こうに広がる広大な自然の森は目が痛むほど、外の光を受けて輝いていた。
 自分が住んでいた世界にはありえないような光景に思わず目を細める。
「しかし、ありえねぇよな……こんな広い部屋って」
 見回せば、小学校の教室並の広さはある空間を独り占めして使っている。部屋の真ん中に堂々と置かれた巨大なベッドには、間違いなく自分があと四人は寝れる。
 巨大な衣装ダンスには誰が使っていたのかはわからないドレスが並び、本棚には大量の書物が詰められ、少し離れた場所には銭湯を髣髴させるような広さの浴室が用意されている。
「……はぁ」
 ガシガシと、長い髪を整えるようにして頭を掻く。
 着慣れない上質な絹でできた寝巻きはやたらとヒラヒラしており、この姿では窓から脱走などとてもできそうにもない――むしろ、自分は深窓のお姫様か、と言いたくなる。
「ナナセ様、お目覚めでしょうか?」
 ドアの向こうから声がする。彼女は顔をそちらへと向けて返事をする。
「起きてるよ」
「おはようございます、ナナセ様」
 ドアを開けて入ってきたのは、昨晩この部屋へと自分を案内した女性――もとい、メイドだった。二十後半と見られる女性は藍色をベースにしたシンプルなメイド服を纏い、その手には朝食と思われるものを乗せたトレイが乗せられていた。
「本日の朝食でございます」
 テラスの傍にあるテーブルへと置かれた、その朝食のメニューに彼女は思わず声を張り上げた。
「なにこれ?! こんなに朝から食べんの?!」
「ナナセ様はこちらにお慣れではない様子ですので
 少し多めに…とシュテルン様より――」
「豪華すぎだろ?! ありえねぇ!!!」
 朝ご飯――トーストと目玉焼き。それを全員で食べるのが習慣であった彼女にとって、テーブルの上のサラダやらスープやらは未知なるものにしか見えなかった。
「双黒の大魔女様に質素なものなど……」
 顔を曇らせるメイド。
 何か悪いことを言ったのかと思ったが、思い当たらないので彼女は困ったようにテーブルの上の朝食を見下ろした。こんなに食べたら腹が破裂するかもしれない。
「よし」
 何かいいことを思いついたといわんばかりに、彼女はメイドを向かいの椅子に座るように指差した。
「一緒に食べよ。僕一人じゃ多すぎだし」
「けれど、私のような下位の者がそのようなこと」
「いいからいいから!」
 無理矢理に座らせて、彼女は何本もあるスプーンとフォークから一本ずつ抜き取って渡す。メイドはオロオロしているようだったが、諦めたのか妙に丁寧な仕草でサラダを食べ始める。その姿を見届けてから彼女は満足したようにトーストにかじりつく。
 食べたことのない味に首を傾げるが、何の味? と聞いてミミズ味。なんて返ってきたら二度と何も食べれなくなってしまいそうなので、何も聞かずに黙って食べることにした。
「おい! クラリス!」
 ノックもなしにドアが開け放たれる。
「シュテルン様!!」
 立ち上がるメイド――名前はクラリスというらしい。昨日聞いたような聞いてないような名前に彼女は首をかしげたが、視線はすぐにシュテルンへと向けられる。なんだあの衣装は。
「パーティーのことは言ってあんのか? アシュレイドが書類の整理におわれてるとか理由になんねーぞ!」
「も、申し訳ございません。ナナセ様、今宵は……ナナセ様のお披露目パーティーがございます」
「今言うのかよ! おせぇーよ!! ドレス持ってきちまったよ!」
 なんだ、この一人で賑やかなのは。
 昨日のアクション映画も真っ青な格闘がかすんで消えていく。
「まぁいい。おい、大魔……ナナセ、お前のドレスはこれだ。不機嫌な面した大男が迎えにきたらそのままついてけ。いいな? オレは言ったからな! 間違えんなよ!」
 ドサリとメイドにドレスを投げつけてシュテルンは出て行く。一人で騒がしい男だった――そんなことを思いながら、彼女はスープを一口だけ飲んだ。
「その……このドレス……でよろしいでしょうか?」
 メイドの言葉に彼女は表情一つ変えずに、
「別に、いいけど?」


 ――着慣れないドレスが重い。
 漆黒のドレスは夜の闇に溶けて、ランプの灯りを頼りに歩こうとも重さでよろめく。隣でエスコートする不機嫌面の大男は気に食わない。眉間に寄せられたシワから自分に好意ではなく嫌悪を感じているのだろうと予想はつくが、本人の目の前では隠せと言いたかった。
「お手を貸しましょうか?」
 声まで不機嫌。嫌なら来るな! と部屋で叫んだが、メイドに押し切られて結局彼にエスコートされることになった。やたらと視線をそらす彼の行動は苛々すると同時に別の感情がモヤモヤと彷徨うのが分かる。
 しかし、腹立たしいものは腹立たしい。
「いらねぇーよ!」
 そっぽを向くと、そこには灰色と黒の中間の髪をした少女がランプを片手に嬉々とした表情を浮かべていた。彼女は両手を胸の前で組むと嬉しそうに口を開く。
「ナナセ様! あなたがナナセ様ですのね!! 
 わたくし、メーア=シュヴァルツ=エリゴールと申します! あなた様にお会いしたくて何十年が経ったことでしょう!」
 そのまま抱きつかれそうな雰囲気に思わず身構えるが、メーアと名乗った少女の腕はガッシリとした腕に阻まれていた。
「メーア、はしたない!」
「まぁ、ゾンネ! わたくしの邪魔をしないでください」
 ふん、と頬を膨らませるメーアを背中に隠して、ゾンネと呼ばれた赤毛の男は深々と頭を下げながら告げた。
「私はゾンネ=ロート=サルガナタス、と申します。あなた様方に忠誠を誓う騎士です」
「同じく、忠誠を誓う四英雄の末裔のヒンメル=ブラウン=アガレスです」
 ゾンネとは違う方向から近づいてきた、やけに細目の美男子――と思えば、彼は双眸を閉じているようだった。そのことを質問するよりも前に、さらに違う方向から年若い声が聞こえる。
「オレはシュテルン=ヴァイス=フラロウス。覚えとけ」
「シュテルン、言葉が過ぎますよ」
 不機嫌そうに告げた眉間にシワの男――
「アシュレイド=アガレス、ちなみにコイツはヒンメルの従兄弟だ。色を継いだわけじゃねーから色の称号はねーけどな」
 親指で指差して、彼は重そうな荷物を彼女へと投げつける。
「魔族のパーティーに司会者は不必要、気まぐれに始まって気まぐれに終わる!」
 投げつけられた包みから淡い青色の水晶が零れ落ちる。それが頭上へと迫ると同時に脳裏へと一つのイメージが浮かぶ。意志をもった――友になりうる、存在。
 口が勝手に言葉を紡ぐ。体中の血液が熱くなる、細胞レベルで変化してしまいそうなほどの熱。
「数多のたましい吸いし魂水晶! 汝の名はカロン! 血と命を啜る大鎌!」
 水晶が手に触れる。刹那、その形が脳裏で思い描いたとおりのものとなり、彼女の手に収まる。彼女の背丈よりも若干長い大鎌は黒と赤を交えた禍々しい色をして、集まっていた魔族たちの視線を釘付けにさせた。
「よぉーし、じゃあ次だ!」
 シュテルンが口笛を吹く。それと同時に羽音が近づき始める。
 その数はおぞましいほど、しかし人々は恐れた様子一つもなしに上空から近づくもう一つの闇を見上げていた。誰かが口にする――
「ヴァンパイアがくるぞ」
 彼女は目を空へと向け、カロンの刃へ足をかける。
「飛べ!」
 刹那、彼女の体が宙へと浮き上がる。カロンに乗って空を舞う彼女の姿に誰かが歓声を上げる。だが、その音は彼女の耳には入らず、ただ目前まで迫った闇ばかりが彼女を夢中にさせていた。
「大魔女――」
 低く、腰に響くような美声が聞こえる。
 闇が散開し、羽音がばらつく。
 それらの向こうにいた人影が一気に距離を詰める。
 人間とは到底思えないような、コウモリの羽にも似た耳――牙の生えた口を魅惑的に開いて、彼は告げる。
「会いたかったー! キルケ様!」
「は―――――?」
 絶世の美男子は絶世の美声をもってして、子供のような甘えた声で喋った。
 一言で言うと、キモかった。
 体は宙にあるのに、彼女自身は地底へと沈んでいくような気分だった。
 なんだこの世界。

 

 NEXT→