何が起きているかを瞬時に理解することは不可能に思えた。ただただ、
少女は周囲を包む血の臭いと、揺れる白い花々を眺めたまま呆然と立つ
ことしかできなかった。
 震える両手にはまだ、あの感覚が残っている――

 どうしてこんなことに。
 見たくない、知りたくない。
 どうしてこんなことに。
 見たくない、知りたくない。

 ――あぁ、そうだ。目を閉じてしまおう。

 何も見なくていいように。
 これで……怖いものは、何もない。

 

 白い花々が揺れる楽園。三日月をモチーフに造られたイスに腰掛けるの
は、まるで月の色をそのまま写し取ったかのような素晴らしい、銀色の髪を
もった女性。その双眸は閉ざされているものの、生まれ持った美しさが損な
われることはない。
 むしろ、物憂げな顔でハープを奏でる姿は、極上の芸術品のようにも思えた。
 長い睫毛が影を落とし、物憂げな美女の横顔を寄りいっそう悲壮なものへ
と仕立て上げている。
 白い花々に囲まれた清浄な世界。そこに似つかわしい、澄んだ音色が響き
渡る中を足音一つ立てずに歩くのは炎のように真っ赤な髪を揺らしている少年。
 その顔はやはり芸術品のように美しい。
 白い素肌に赤い髪と双眸。浮かんでいる表情こそ傲慢にも見えるが、物憂
げな美女へと向けられる目線は無邪気な子供そのもの。
「姉上、またここにいたのですか」
 足を止めて告げる、その言葉が消える頃にハープの音色もまた、静かな空
気の中へと消えていた。
「……ここは静かですから」
 形の整った唇から紡ぎだされた声は透き通るように美しく、今にも歌い出し
そうであった。
 女性は少年へと顔を向け、双眸を閉ざしたまま唇を震わせる。
「本当に……決意は変わりませんか?」
 それは問うているというよりも、別の選択を選ぶことを願っているようにも感
じられた。
 だが、その想いは少年へと届くことはない。
「もちろんですよ。ぼくは……もう、決めました」
 口元が笑う。
 もとより迷いのない瞳がまつすぐに美女――少年にとっては、ただ一人の姉
――を見る。
 少年がしようとしていることの大きさを知っている美女は悲しそうに眉をひそ
めた。
 動き始めた歯車を止めることが容易でないように、自らと血を分けた弟であ
る彼の選択を覆すことは不可能だと悟り、物憂げな顔が悲しみに曇る。
「そうですか……これも、運命の三姉妹が予言したのでしょう……
 私は中立の立場にいます。あなたの敵でもあり、味方でもあります。
 死なないで戻ってきなさい……
 あなたは、私の……たった一人の弟なのですから」
「はい、姉上♪」
 明るい返事と共に、少年の体が炎のように燃え上がる。一際大きく燃えた
かと思えば、その姿は白い花々の咲き乱れ空間から消え去り、残っている
のは小さな火の粉がいくつか。
 それもやがて消え、まるで最初からそこに少年が存在しなかったかのよう
に思えた。
 再び訪れる静寂。
 白い花々が揺れるこの場所を楽園と呼ぶ詩人がいる。
 穢れなんて一つもないこの場所。物憂げにハープを奏でる美女の横顔を、
白い月の光が照らした。
 人間にはとても作り出すことのできない芸術品。
 そう言われてもおかしくない美女は月の輝きを浴びながら、
「見たくないのなら……目を閉じればいいのに……
 父上も……あの子も……」
 酷く哀しそうに告げた。


 運命の三姉妹は予言する。


 ――太陽は地上に堕ち、白き娘と会うだろう。
 訪れる混沌に裏切られし道化は死神となりてすべての父に牙を剥く。
 死神と同じ姿した人形。
 死神を消さんと奔走するが死神の絶望に砕け散るだろう。
 すべてが終わりて始まるは太陽の時代。
 すべての父は地中へ堕とされ赤い花々を抱くこととなる――

 →第二話「神の月、神を薙ぐ人