赤い花が咲き乱るる。静かに、厳かに流れる蒼き河には沈む人ありけり。
 沈み逝く淡き光の球は、かつて生命としての煌きを持っていたもの。だが、
流れる内にそれは失われ、やがては赤い花へと姿を変える。
 ここは地獄。
 咎人の逝き着く理想郷。この世界で最も美しく、最も残酷な場所。
 ふらりと立ち寄った異端の少女。
 白く、細い四肢で赤い花に触れ、しなやかな指先で引き千切る。
 つう……と伝うのは赤い花の蜜か――少女の血か。
 目前に広がる不可思議な光景に首を傾げ、笑った顔を揺らす。
「何者かえ?」
 いつからそこにいたか、正体の見えぬ老婆。
 少女はそれに恐怖することなく、ただ人形のように微笑んだまま。
 

「やぁ、こんにちは? 僕はジョーカーっていうんだ、ヨロシク」
 

 ジョーカー――道化師――と自ら名乗る少女を仰ぐ老婆、その眼球を覆う
瞼を下ろす。
「神々の切り札かえ?
 ……これはこれは、此度の切り札はたいそう若い御人で」
 老婆の告げる言の葉は揺れる赤い花々の囁きに掻き消える。
 少女は純白の衣を揺らし、時折り光る周囲に漂う彼らを見回した。
 その笑みは一瞬たりとも崩れることはなく老婆を、赤い花々を見据えている。
「やっぱり詳しいんだねぇ。僕も見習いたいものだよ♪」
 独特な喋りをする少女。一度聞いただけならば、なんて快活とした喋り方と思
うだろう。だが老婆は、否。老婆を含めたこの地獄に住まう存在すべてがそれ
に気がついていた。
「やっぱりぃ? 僕も色んな知識は欲しいんだよね〜」
 その声に篭っている感情という感情が、恰も造られた偽りのものであるかの
ように違和感に包まれていたことに。笑んだままの道化師を見遣り老婆は水
気が失われ、渇いた唇を開く。
「必要ないことじゃ……この場にて見守るだけの老いぼれなんぞ見習うでない」
「ケド、知識があるっていうのはイイコトだよね? ウフフ」
 距離を詰める。
 変わることのない笑みが近づいたその瞬間、老婆はようやく気付いた。
 少女は笑みを浮かべているのではない。純白の仮面をかぶっている。
 かつて存在しただろうか。このような禍々しい神々の切り札を。この少女は
穢れのない清浄な天界には似つかわしくない。
 むしろ地獄側の存在だとも思えた。
 純白の仮面で顔を覆い、老婆がまとうものよりも丈の短い死に装束に若い
肢体を包む。
 赤く染まった両手を見据えて老婆は息を吐くように告げた。
「……この場所になんの用じゃ」
「警戒しないでヨ。なぁ〜んも? まだ、命令はきてないからネェ……」
 声がこもる。仮面が仮面としての役目を果たさんと動き始める。
 少女の赤い爪が花を一輪、無残にも切り裂く。飛沫とともに舞い落ちる花弁
はあたかも血の如く白い足首を濡らしていた。なんとおぞましい光景だろうか。
「……フフ……ハハ。楽しいね、ココ? 僕も来れるかな?」
 楽しそうに笑う少女。
 赤く塗れた足元を睨みつけ、老婆は声のトーンを下げた。
 穏やかな老婆ではなく、本来の役目を全うするべく。
「無理じゃろうな。神々の飼い狗は消えるのみ」
「やっぱりぃ? 残念♪ ――だったら」
 少女を中心に風が渦巻く。生暖かいその風は花々を揺らし、漂う光を蹴散ら
した。
 声なき悲鳴が聞こえる。
 その中に佇む少女は、態度を豹変させた老婆など恐れる素振りなど見せず
に笑んでいる。
 純白の仮面ですべてを覆い隠したまま、笑んでいた。
「ココを、主のモノとする。呼びたければ呼んでごらん?
 ――キミの主を」
 声色は変わらない。
 だが、決定的に違うのは込められた殺意。
 少女は狙っている。確実に老婆を仕留めるその瞬間を。
「業を背負う人形……お主にゃあ……」
「喋る時間はナイよ?」
 

 ――光、渦巻く。鼻の奥にツンとくる香りが舞い上がった。
 それは神々の持ちうる力の欠片。
 少女が神に仕える存在だという証。
 

「僕はジョーカー。神々の切り札と呼ばれし人形。
 主は神を制した太陽。地獄の死霊ども、キミたちの世界はいただくよ」

 → 一話「月と運命と太陽