「出逢い」
ソレはその少年を知らなかった。
たとえ知っていても、もう忘れてしまったのかもしれない。
柩の中は自分以外の存在はなく。
また、柩の外にも荊と自分以外を見たことはない。
他人を見たのは本当に久しぶりだった。
見て、見られてという意味では初めてに等しい。
予期しない遭遇にソレは無表情のまま少年の顔を見つめていた。
「や、おはよう」
明るく笑みを浮かべる少年。
笑顔も声も明るい。
とてもこんな鬱蒼とした場所にいる存在とは思えなかった。
自分とは正反対の存在だ。
返す言葉も、態度も思いつかないソレは沈黙していた。
返せる言葉も、態度も、当の昔に忘れてしまった。
無反応のソレを見下ろす少年。
やや残念そうに眉を下げ、
「やっぱり分からない? 迷子になって長そうだもんね」
声のトーンを落として告げた。
意味が分からなかった。
理解するということすら忘れてしまったのか。
耳を通る声が騒音に変わる。
「そうだよね。普通なら意識もなくして、無差別に他人襲うよ。
それでも我慢強い ちゃんだから今でもこのままなんだね」
違和感が一つ。
忘却に満ちた脳髄でも感じる違和感が一つ。
何がおかしいというわけでない。
ただ少年から目が離せない。
「ま。だからこそ! ボクが ちゃんの手助けをしようって
決められたんだけどね。イイコな ちゃんのために」
ほら、また。
違和感が一つ。
何か違和感が一つある。
「…………なに、それ……それは」
「それってなにかな? ちゃん」
再度。
告げた言葉に含まれた違和感。
空白の単語。
それだけが聞き取れない。
脳が理解するよりも前に消えてしまう。
「それ」
「それ……? あ、もしかして。
名前のことかな? ちゃん」
名前。
なまえ。
ナマエ。
バラバラと崩れていく言葉。
ずいぶんと前に失ったもの。
言われてようやく理解した。
そうだ。
聞き取れないのは名前。
誰かの。誰の。
「名前……だれの……」
「君だよ。 ちゃん」
笑う少年。
声が耳の奥に響き渡る。
「もう一度呼ぶね」
侵食する音。
響く言の葉。
沈んでいた記憶が引き戻される。
引っ張られる。
奥から、奥から。
引っ張られる。
「……わた……しの……なまえ……」
聞こえた単語。
紡がれた単語。
沈黙の胸が震える。
そこに熱が宿っていた時のように。
引っ張られ、引っ張られ。
一つ。
かえってきた。
おかえり。
→「名前」