「歌声」


 柩の中でまた眠る。
 明日はこないと柩は言った。
 けれど眠り続ける。
 あくる夜半に口を吐いて出た旋律があった。
 それは歌だと理解する。
 繰り返し、繰り返し歌う。
 いつ聞いたか分からない歌。
 好きなのか嫌いなのかも分からない歌。
「――――」
 柩の中で響いて消えて、響いて消えて。
 繰り返すだけの作業をソレは縋るように続ける。
 知っている歌は同じ旋律を繰り返し、飽きることなく歌われる。
 歌っている間は何も感じない。
 歌っていれば恐ろしくない。
 自らの存在が分からないという現実が。
 怖くない。
「…………」
 気付いた瞬間に歌が止んだ。
 歌う理由に気付いて旋律を止める。
 存在?
 今更何を。
 続く今日の中で気付いていたというのに。
 眠っても明日はこない。
 目覚めても彷徨うだけ。
 どこにもいけず、なににもなれない。
 忘れていくだけ。
 もともと持っていた物を忘れるだけ。
 自らの存在が分からないのは忘れたから。
 すべて忘れて、なおも彷徨うだけ。
 ソレが自分なのだと自嘲する。
 こういった存在のことを人はこう呼んでいた。


「ぼうれい」


 ソレは声にならない笑い声をもらした。
 いつの昨日だったか。
 ずっと続く今日の中で忘れた恐怖。
 まだ覚えているのは笑うという行為。
 覚えていた知識は朝靄に浮かぶ光のようだった。
 自らもよんだことがある言葉。
 まさか自分のことをそう呼ぶ日が来るとは。
 そんなこと思ってもいなかった。
 数分の間に忘れかけていた旋律を再び口ずさむ。
 どこで覚えた旋律か。
 どこで感じた歌か。
 思い出せればいいのに。
 思い出せたらいいのに。
 歌いながら左右の瞼をゆっくり下ろす。
 柩の外では月が昇り、夜の先を待ち侘びている。
 移ろう四季を心待ちにする生物たちを柩の上に感じた。
 右目だけを開き、ソレは呟いた。
「今は……いつ……だったかな」
 朝と夜しか存在しない時間。
 日付も季節も何もかも忘れてしまった。
 考えようとした頭を転がし、ソレは右目を閉じる。
「おやすみ……なさい」
 感じられない風はもう思い出せない。
 忘れたものはもう思い出せない。
 そう、思い出せない。
 でも、思いだしたい。
 歌声は忘れなければいい。
 歌声は忘れたくない。
 静かな胸は相変わらず音を立てなかった。
 しばらく頭の中に響いた歌は音をまだ保っていた。

 →「花詩