少女は小さく息を吐いた。
 生温い風が手のひらを通り抜ける。
 これからどうしようなどと考える頭は、とうの昔に働くことを放棄していた。
疲れて浮腫む足と倦怠感を訴える体は、彼女の脳に懇願する。
 寝たい、寝たい、寝たい。
 されど少女はそんな必死の願いに耳を傾けるどこか、意識すら向けるこ
とはない。
 死んだ眼差しの向こうに街の明かりを見据え、背負った僅かな荷物の軽
さと、自分の命の重さは同等だろうと思いを馳せる。
 別に自殺願望があるわけではない。
 ただ生きることに対して覇気がないだけだ。
 やる気がない――少女は自らの性格や性質をそのように判断していた。
 これがもう少し幼ければ、若いのにと哀れまれ、もう少し年を経ていれば、
いい年して情けないと笑われる。
 今が一番いい。
 少女は常々思っていた。
 幼くも老いてもいない今が一番いいと。
 どんな奇怪な行動も思春期という言葉で片付けてもらえる。
 何をしても興味をもたれない。
 もっと大げさな行動を追いかけるのに彼らは夢中だ。
 つい数日前の大騒動を思いだし、少女は何日ぶりかに笑った。
「あぁ……ほんと、アレは面白かったね」
 誰に語りかけるわけでもない独り言。
 久々にだした声は掠れ、とても思春期の少女の発した声とは思えなかった。
 投げかける対象のない言葉は刹那に消え、周囲は再び静寂に包まれる。
 あるのは物言わぬ木々ばかり。
 別に独り言が趣味なわけではない少女は無言のまま歩き出す。
 どこへ行くわけでもない。
 どこかへ行きたいわけでもない。
 何かをしたいわけでもない。
 だって少女はやる気がないのだ。
 食料も持たず、目的も持たず、ただなんとなく出てきただけ。
 あんまりにも周りが騒がしいから。

 ちょっとばかり、退いてるかと思っただけ。

 今はその延長線。



 街の明かりに背を向け、少女は目を閉じて歩き出す。
 どうせ周囲は明かりのない闇なのだ。目を開けていても、閉じていても
なんら変わらない。
 たとえ転んだとしても、まあいい。
 瞼の裏に残る鮮明な映像を反芻しながら歩く。
 

 赤く。赤く。赤く。赤く。赤く。


 揺れた赤は、騒ぐ彼らを飲み込んで、もっともっと煩くなった。
 外から聞こえたサイレンが煩わしくて。
 鼻をつく臭いが煩わしくて。
 

 赤く、揺れて、叫んで、倒れて。

 あんまりにも騒がしいから出て行った。


 ふと少女は目を開ける。
 そういえば、一つ忘れ物をした。


 少女は月明かりを遮る木々の枝葉を仰いだ。
 微かに漏れる月光は冷たい。


「鍵……忘れちゃった」




 
 子供が中にいるんです。
 あの子の分の鍵が残っていたから。
 ヒステリックに叫んで周囲の制止を振りきり赤の中に飛び込んだ。
 もういないのに。
 赤が大きくなった頃にはいなくなっていたのに。
 少し見回せば分かること。
 見なかったのはあなた。
 少しでいいからこっちを見ればよかったのに。
 見えたはず。
 窓から出ていく姿も、赤を育てる姿も。
 あなたが見ていたのはだあれ?


 ヒステリックな声と共に託された小さな塊。
 泣き声がしないと慌てて目を向ければ――

 そこにはお人形。







 少し不思議なお話だと夏のテレビで言っていた。
 閑静な住宅街で起きた火災。
 原因は不審火。
 犯人は見つからず、この家の妻が犠牲に。
 そして長女が行方不明。
 燃え盛る家から飛び出してきた妻が消防員に託したのは、物言わぬ
お人形。
 この現実に夫は何も言わず姿を眩ました。
 語るもののいない物語は好き勝手に話が継ぎ足され、流産しておかし
くなっただの、本当はお人形ではなく虐待で殺された木乃伊だの、長女
は売られただの、埋められただの。
 そんな話がまことしやかに囁かれる中、もう一つの不思議な噂が迷い込む。

 
 裏の小さな山に行方不明の長女が住んでいる。
 夜になると薄汚れた姿で、目を瞑って歩き続けている。

 けれど誰も姿を見たことはない。
 誰かから話を聞いたと言うばかり。
 実際に山に入っても姿を見た者はいない。
 ただの噂だと笑う先から噂は広がって行く。

 それでも、誰も少女の姿を見ない。
 
 
 夜は目を瞑りすべてを覆い隠す。