「解放されると思っているわ」
 少女は笑った。
 少年は息を呑んだ。
 机の上。
 吊るされる輪。
 笑う少女。スカーフは血の色、顔は青白い。
「メリットなしに苦しむバカがどこにいるの?」
 少年には返す言葉がない。
 そもそも少女とまともな会話をしたのはこれが初めてだった。
まさか最初の会話がこんなにも殺伐としたものなるなんて――
思うわけがないではないか。
 毎日が面白おかしかったのだから。
「あんまり騒ぐなよ」
「やだ。あなたたちが言ったのに?」
 放課後。
 教室は二人きり。
 こんなにもロマン溢れる空間と条件で、起こったイベントは同
級生からの告白でもなければ、恋の始まりでもない。
「毎日言ってたでしょ? 叶えてあげるって言ってるのに?」
「そんなつもりは」
「え?」
 首を傾げて笑う少女。
 こんな顔は初めて見た。
 いつもは泣いていた少女。
 小柄で色白で、気弱で声が小さい。
 誰かが陰で言った。
 地味な女だと。
 地味で静かだから誰も反対しなかった。
 だから、のった。
 帰りに遊びに行くような気分だった。
 それがこんなことに繋がるなんて?
「言ったじゃない。あなたたち」
 色の悪い唇が笑う。
 そういえば少女は以前よりも痩せていた。
 悪乗りで始めた一連の出来事。
 教師は何も言わなかった。
 最初から今日まで、何も言わずに見ていた。時には参加だっ
てしていた。けれど今、その教師は得意げな顔をしてどこかへ
と電話をしていた。
 言葉は脳髄に刻み込まれた。
――男子生徒が女生徒にいやがらせをしている――
 加害者が傍観者へ。
 傍観者は密告者へ。
 酷い裏切りだ。他の奴だってやっていた。彼だけではない、ク
ラスの半数が犯人だと言うのに、気付けば他の奴らは関係ない
といわんばかりに姿を消していた。
「あなたが最初に言ったのよ?
 覚えてないの? ねえ、覚えてないの?」
 小さな声。
 鈴のなるような声で責められる。
「みんな言ってただろ!!?」
 虚勢を張って言い返す。
 少女はくすりと笑った。
「あなたの言葉をまねしたのよ」
「そんな」
「喜べばいいじゃない。
 あなたが望んだこと、みんなで望んだこと。
 言ったことに責任もって喜びなさい。
 今から起こることは、あなたが強く望んだことなのよ」
 笑っている少女。
 言葉は届かない。
 少女は泣かない。
 軽く言っただけだった。
 それだけで泣くから楽しかった。
 日々の倦怠感が消えていくようだった。
 楽しかった。
 本当に、楽しいからやっていたんだ。
 もっと盛り上がると思った言葉。
 案の定盛り上がった。
 浴びせかけられる言葉に少女は泣いていた。
 そしてゆっくりと顔を上げて、静かな目で笑った。

「いいわよ」

 目の前で手首を切りつけた。
 誰かがそんなのじゃ死なないと野次をいれた。
 少女は笑い、血の流れる首を見せた。
 顔を背ける数人。
 誰かがやばいよと言った。
「いいわよ」
 カーテンレールへ通されるスズランテープ。体育祭の残りは見
る見るうちに輪へと変わる。
 頭を入れて、机の上で少女は少し背を丸めて立っていた。
 女子らがやばいと言い合う。
 逃げ出す奴がいた。
 少年も逃げようと思った。
 しかし扉は閉められた。
 出せと騒いでも扉を押さえる奴は叫んだ。
「お前が言い出したんだ! 俺たちはそこまで言う気なかったのに!!」
 息が止まるような衝撃に少年は扉を叩くのをやめた。背後には
少女、扉の向こうには逃げ出す奴らの足音、教師の話し声。
「おい……おい。うらぎんのかよ……」
 ぽつりと呟いた言葉に少女は笑っていた。
「一人が嫌ならこっちにくる?」
「俺にも死ねって?」
 聞き返した言葉に少女は答えなかった。
 ただ笑ったまま小詩念を見下ろしているばかり。
「……それもいいかもな」
 思い出していくうちに少年は面倒になっていた。
 死んだってやり直せばいい。何がどうなったってやりなおせる。
物心ついた時からそうじゃないか。
 電源ボタン入れるように、リセットするように、気に食わなけれ
ば殺していた。もう一度やれば、もっといいシナリオになるんだから。
「俺もやるよ」
 少女の隣に昇ろうとした少年。その顔を蹴りつけられた。
「なにすんだよ!」
 凄む少年。しかし少女は笑ったまま表情を変えない。
 見開いた目で少女はこういった。

「アンタと死ぬなんて絶対にいや。一人でいなさいよ」



 揺れる足。
 ぽたぽたと何かが垂れた。
 確認する気力もない。
 少年は眉間にシワを寄せたまま呟く。
「お前……ロード遅すぎんだろ……?」
 揺れる。揺れる。揺れる。
 舌を出して動かない少女。飛び出した眼球が揺れる。
 ぽたぽたと涎が垂れる。
 動く気配のない少女。
 されど少年は待ち続ける。
 やがて動き出すだろう少女に悪態を吐くことを。
 

 窓の外が騒がしい。
 扉の向こうが騒がしい。
 少年はぶつぶつと呟きながら座り込んでいた。