刈りましょう、狩りましょう。
 命の種を狩りましょう。
 狩りましょう、刈りましょう。
 命の茎を刈りましょう。

 憎しみすべて、この手に抱いて。
 暗闇に潜む雄を狩りましょう。


 赤く粘つく鉈を仰いで笑う。
 冷たいアスファルトに横たわる中年の男は真っ赤に染まり、
口からは白い泡を吹いて悶絶していた。生きているのは間違
いない、殺すのは目的ではないのだから。
 紺をメインに置いた制服を夜風になびかせ、少女は笑う。
 ぼたりと肉片が転げ落ちて足元を転がる。
 毎夜、少女が狙うのはこの箇所。
 命の源と考えれば神にも等しいものであるが、使い方一つ
でただの凶器になる。
 凶器は狂気を呼ぶと知らぬ雄は力を振りかざして過ちへと
身を傾けた。
「ふふふ……うふふふふふあはははあ」
 笑い声が口をついて漏れれば、足元で悶絶していた男が意識
を失ったことに気づく。苦痛で気絶したか、はたまた失血による
ものか。そんなことは自分に関係ない――そうとでも言うように
少女は男へと背を向けた。


 狩りましょう。
 刈りましょう。
 あなたの茎をこの鉈で。
 恐ろしい凶器には冷たい金属の狂気で立ち向かいましょう。
 力なき生娘が純潔を失わぬうちに。
 冷たい狂気を抱くことを覚えましょう。
 そして刈りましょう。
 そして狩りましょう。
 命の種を、命の茎を。



「お願い……香子……お母さんの話を聞いて。外に出てきてぇ」



 叩いたドアの音は激しいロックにかき消される。
 頭から布団をかぶって真っ暗な部屋でパソコンのモニタを見つめ
る二つの眼。充血したそれは最早正気を失っていた。何かを捜し
求めるように必死でマウスと右手を動かす。カチカチとなったかと
思えば、何度かのエラー音。
 足元には白い布を巻きつけた何か。
 持ち手には赤黒いしみ。
 外のことなんて興味がないのか、実母が懇願しているというのに耳
を傾けるどころか声にすら気づいていない少女は半開きになっている
唇を震わせた。
「きた……!!」
 心という存在を感じない双眸が歪む。
 足元の何かを拾い上げ、愛しそうに抱きしめて笑う。モニタには一通
のメール。文面は短く簡潔に、ただ一言だけがつづられていた。
 冷たい電子の文字は現実の何よりも暖かい。
 少女は再びパソコンのモニタを凝視する。時間はない。
 朝か夜か、それだけ。


「私が余計なことをしたから。
 私がいなければよかったのね……香子、香子ぉ」
 泣き崩れる母を男が抱き止める。
「あなたは間違っていません。解決しなければならないのです。
 そうしなければ次の犠牲者が――」
 男の言葉をかき消すようにしてラジオで緊急速報が流れる。
「本日未明に帰宅途中の――さんが何者かに襲われ、重症を負いまし
た。近所の住民に発見された――さんは過去に痴漢の疑いがあり、現
在も裁判が――」
 しばらく続いている事件だった。
 襲われるのは決まって男。それも過去に痴漢、セクハラ、強姦などの
婦女子に対する犯罪を犯したものたちばかり。続く事件に関連性を見
出した警察たちは独自の考え方で躍起になっているし、一部の女性団
体は男たちへの罰だとなにやら宗教じみた活動を開始したりしている。
 世間を騒がすこの事件も自分たちには関係ないのだと男は顔を上げた。
「まずは香子ちゃんと話さないと……
 被害者には心のケアが必要なんだから。
 きっとまた、元の香子ちゃんに戻ってくれますよ」
 母の肩を軽く叩いて男はドアを叩いた。
「香子ちゃん。僕だよ、君の主治医の――」
「無駄よ」
 隣の部屋から顔を出したのは長女の明日香。仕事を休んで家でくつろ
いでいた明日香は茶色く染めた髪を手で梳いて目を細めた。薄化粧を施
した顔に浮かんでいるのは男を小ばかにした笑みだった。
「香子は男なんて信じないわよ。
 二度とね」



 聞いてよ。聞かなくてもいいから。
 少し前にここで嫌な事件があったのよ。
 少し歩けば家があって、向こうには明るい大通りがあるの。
 ちょっと気まぐれで裏道を通ったらこれよ。



 何かを思い出すように少女が蹲った。
 手は、すでに赤い。
 闇夜の中で白い月が咲く。足元には肉片一つと泡噴く男が人。

 狩りましょう。
 刈りましょう。

 命の茎を。
 命の種を。

 栗の花咲くことなく散ってくれ。
 切り落として踏みにじって潰してしまわぬうちに。


「……足りない。足りないのぉ……」


 どれだけ刈っても。
 どれほど狩っても。

 満たされない心。
 終わらない復讐劇だと、むしろ滑稽だと言われた。
 傷ついたのは私なのに。
 男には分からない。
 あの消失は男には理解できない。


 そして少女は鉈を握る。


 赤く粘つく鉈を抱いて少女は笑う。


「もっと。もっと!!」


 雨が降る朔の日。
 歩いていた少女を取り押さえる腕二本。
 抵抗するにも自由を奪われ、危うく命まで奪われそうだった。
 体のどこかで引き裂くような痛みを感じて叫びたかった。
 失った声を求めるように宙を泳いだ。
 けれど何も取り返せぬまま体の奥で何かが弾けた。
 呆然とした意識の中で少女はいくつかのことを覚えていた。
 泣く母と、すぐについた主治医を名乗る男。
 いくつかの検査のあとに警察が来た。
 繰り返し、繰り返す。
 屈辱的な辱めを口に出して。
 繰り返して、繰り返して。
 あくる日の朝は夜に変わった。
 学校の鞄は鉈になった。


「私を傷つけた男なんてみんな死ねばいいのに!」
 物言わぬ天へ轟け絶叫。


 少女は再び顔を上げる。
 視界には通りすがりの男が一人。


 さぁ――



 静かな自宅。
 母は動かぬ男を見下ろして小さく呟いた。


「お願い……出てきて。この部屋から……」


 空っぽの部屋を閉ざすドアを叩いてすすり泣く。

 赤い足跡は続いているのに。
 あの事件の場所へと。いつまでも、いつまでも。
 続いているのに。

「……みんな、ばかみたい」

 一人呟いて明日香は腕を組んだ。
 真っ赤な鉈を振りかざす妹の姿を思い浮かべ、思わず笑みを浮かべる。
「……いい気味。男なんて虐げられて滅びればいいのよ。
 子孫なんて、種と女がいればどうにかなるんだから」


 強い凶器は狂気をつれてきた。
 一人の男の愚行より始まるこの事件。
 まだしばらくはおさまりそうにもない。


 狩りましょう。
 刈りましょう。
 命の種を。
 命の茎を。
 頭の悪い雄を。
 罪深い無価値な雄を。

 経血の鉈でかりましょう。
 カリましょう。


 ひとつ、ふたつ、みっつ……


 肉片は並んで転げ落ちていった。