小さな灯火一つ――
消えた。
歎き歎いて咽び泣いた幼馴染の姿が遠く離れていく。
ごめんね守ると約束したのに、ごめんね。
どれほど謝ろうともこの声はもう届かない。
その耳には届かない。
あなたはどこへ行くのだろうと問うても、
問うても、答えは漣に掻き消され声が沈んでしまう。
どこへいくの、どこへいけばいいの。
淋しいならおいで、淋しいからおいで。
二人でいよう?
二人でいこう?
お願い、なんでもするからボクを置いていかないで。
ボクを忘れないで。
「ダメだったの……」
「そう……」
今にも泣き出しそうな声だと思った。
遠くに見える海を眺めているあの子は、遠い過去の姿なんて思い出させない
ような大人の姿で、大きくなったお腹をさすりながら微笑んでいる。
暗い海に流れていくのは灯篭。
海に消えた漁師を弔う赤い焔。
あの子の夫を弔う炎。
終わりを告げ、始まりを奪っていった残酷な灯火。
「この子を残して、あの人は逝ってしまったわ……」
「うん……」
「凄く楽しみにしてたのよ? 男の子だって」
「男の子……なんだ?」
「親子で漁をするって。漁だけで食べていけるほど裕福でもないのに」
「そうだね、今だとちょっと厳しいよね」
「名前も考えてくれるって言ってたのに」
「…………」
言葉が通じない。
耳に入らない。
閉ざされた心は外界の音まで消し去り、その耳朶に波の音だけを響かせている。
哀しいね。
遺されたあの子も、これから生まれるその子も。
かなしいね。
「……どこへ……行ってしまったの……?」
「すぐ、傍だよ。きみのすぐそば」
昼下がり。
見晴らしのいい丘で再会しました。
悲しい貴婦人をどうにか笑わせようと頑張ったのです。
弔いの炎が哀しいなら消してしまいましょう。
漣の音が苦しいのなら消してしまいましょう。
大きなお腹が重いのなら消してしまいましょう。
愛した男の記憶が辛いのなら――
「すぐそば、すぐそば」
白い足首に枷をつけて。
あなたの夫が沈んだ海へ眠りましょう?
せめて子供が生まれるまでと思っていたけれど。
貴女があまりにも苦しそうだから早めにしたよ。
沈んでいく黒髪。
白い沫が消えていく。
薄水色のワンピースは夫からのプレゼントだそうで。
二人で仲良く沈んでいてね。
貴女の幸せが俺の幸せ。
でも、あぁ……大変。
「ごめんね……守るって約束したのになぁ……」
お腹の子供だけは、守ればよかった。
「俺の子供なのになあ……あーあ……」
漣が煩い。
壊れた灯篭の破片が目障りだった。
脳裏に泣き声が響き渡る。
「……ごめんね、守れなくて。
ごめんね――すぐ傍にいてくれよ? 淋しいからさ」
さぁさぁと波の音が聞こえる。
どこかで選択肢を間違えたような気も、どこかで何かを間違えたような気がする。
けれど何も変わらない明日を思い出して彼は笑った。
「さてと。早く仕事片付けちゃうかな」
ざぁざぁと波の音だけが響いている。
ごめんね、ごめんね。
生まれてきたかったよね、ごめんね。
でもダメなんだよ、お前は生まれたら。
生まれたらバレてしまう。
お前があの男の子供じゃないって。
俺の子だって。
でも愛してるよ、お前のこと愛してる。
だから沈んでくれよ。
パパもママも傍に置いてやるからさ?
沈んでいてくれよ、できればずっと。
――言うこと聞くから、ボクを忘れないで。