ちょっとだけ昔の話だよ。
 祖母はそう告げた。
 おじいさんは小さな魔女を殺したんだ。
 街に厄災をもたらすからと信じて殺したんだよ。
 その魔女の亡骸を抱き締めて、魔女の家族が泣き叫んだのを目の当たり
にしたおじいさんは正気を失いかけたんだ。まるで人間のようではないかって。
 泣き叫ぶ老婆は小さな魔女を抱き締めて叫んだんだよ。


「呪われろ! 忌々しい人間、お前らこそ魔女だ!!」


 この街は呪われているよ。
 あの魔女たちに。
 ずっとずっと、解けない呪いをもらってしまったんだよ。
 だからこの街では、小さな魔女の死んだハロウィンの晩に悲劇が起こるのさ。
 呪いだよ。ぜんぶ。
 だから諦めておくれ、ネメア。
 私たちには希望も残されていない。
 諦めて、おくれ。
 まずは私たちなんだ……その後が、この街。
 諦めて、幸せでなくてもいいから結婚をして、子供を残しておくれ。
 一人でも、多く。
 遅らせるために……




 闇が渦巻く。
 信じられない現象を目の当たりにしながら彼は父の死に間際を思い出した。
あれはハロウィンの翌日だった、酷く憔悴した父は家の玄関に入ったところで血を
吐いて死んだ。
 外傷はないのに、まるで何度も刺し貫かれたかのように体中を痛がっていた。
 特に胸を。
 血を吐いて、絶叫をあげて、部屋を暗くするとそれはさらに酷くなり、帰宅してから
死ぬまでの半日間、父は叫びつづけた。
 そして、後を追うように祖母が死んだ。
 風で流された物干し竿に貫かれて、壁に貼り付けられて死んでいた。
 続く不幸にショックを受けた母は父の墓の前で喉を突いて自殺してしまい、あっと
いう間に彼は独りになったのだと。
 その様子を誰かが囁いた。
「……呪いだ……」
 半信半疑な祖母の昔話。
 祖父の死に間際の言葉で確信をもち、父の死で恐怖を抱いた。
 祖母の死で悲しみを覚え、母の死で憎悪を感じた。
 何でここまでされなければならないのか。
 魔女は殺してもいいんだ。政府がそう決めた、殺すことはむしろ誇らしいこと。
 だって魔女は人間に害を与えるのだから。
 先に迷惑をかけたのは魔女なのに。どうして恨まれなければ、呪われなければな
らない。
 ネメアの手が震える。
 怒りと、恐怖と、ぐちゃぐちゃに混ざればむしろ冷静になれるだろうか。
「そういえば、言うの忘れてたけど。
 この体、似合う? けっこう気に入ってるんだけど、新しいし」
 闇の中で笑うメディア。こんな場面だというのに何を言うのか、露出の少ないローブ
は色の白い顔を際立たせる。薄く色付いた唇も、赤らんでいる頬も、人間の基準から
すれば愛らしいに違いない。
 しかし、その言葉をメディアに言うつもりはなかった。
 魔女を褒める理由なんて何一つとしてない。
 忌むべき存在なのだから。魔女は。
「眉間にシワ寄せてどうしたの?
 昔の罪が怖くなった? それとも……この体のこと、思い出した?」
 風のない世界でローブが闇に溶け出す。衣服を纏わぬ姿となっても、メディアは恥
らうどころか局部を隠す行為すらしない。よほど自分の体に自信をもってのことだろう。
 しなやかに伸びる四肢に目をやったネメア、その双眸が限界まで見開かれた。
「……なん……だっ、その……体」
「素敵でしょう? わたしの本当の体は失くなっちゃったから、いいのを見つけて繕っ
てたんだけど……材料にこだわりすぎて時間かかっちゃった♪」
 確かに美しいその肢体。けれど体中にある継ぎ目はどういうことか、所々縫合の糸
が見えているのはどういうこととなのか。
 嫌な予感がした。
 体温が下がる、生温い汗が全身から噴出す。
「顔はね、さっきの子。うっかり他の体を試着してるときに母親に見つかっちゃって、ま
さか埋められるなんてね。慌てて掘り出したのよ? わたし、動ける時間って限られて
るから」
「……! だから……ハロウィンの日だけ、犠牲者が……」
「あ、ご名答。そっ、わたしはハロウィンの日だけ自由に動き回れるの、おばあちゃん
のおかげでね」
 微笑むメディア。しかしその口ぶりからすれば、愛らしい顔はミリィ=クルツォーネの
ものなのだろう。当人よりも成長していて分からなかった、死後もメディアの顔として時
間を過ごしていた――そう仮定するならば、とても現実味のない話だが、こんな場所に
つれてこられて今更現実味がどうのなんてことは言っていられない。
 息を呑んだネメアは、一つだけ常備することを許されている拳銃へと手を伸ばした。
 刹那、渦巻く闇が絶叫のようなものを鳴り響かせた。
「あぁ……だめよ。拳銃はよくない、みんなが怒るから、わたしを殺した道具だもの。
 捨てて? ネメアさん」
 穏やかで愛らしい双眸が赤く発光する。それはお伽噺に聞いた魔女の習性そのもの、
光る眼から見えない力を発し、時には巨大な塔すらも粉砕すると。
「いっ……!!」
 激痛に顔を顰める。
 何かをされた認識するよりも前にその部分が熱くなり、そしてすぐに何かが流れ出し
ていくのを感じる。足の上に落ちたものは何か、確認するのが恐ろしかった。
 ただ、拳銃を握っていた手を感じない。
 あの、冷たくも重い感触が見えない。
「あ、あぁぁ……!!」
「痛い? そうでしょ、だってわたしも痛かったもの。
 まだ小さかったのに。拳銃で腕がなくなってね? 次は足だったの、動けないわたし
を見下ろしてあなたのおじいさんは言ったわ……忌まわしい魔女め! って……」
 光る眼が冷たくネメアを見据える。
 浮かべられる微笑は激しい怒りの向こうにある静かな感情を映しだし、止め処なく溢
れ出る血液でズボンを濡らす彼を恐怖させた。
 こんな化物相手に祖父はどうやって――
「子供の魔女は人間と変わらないの」
 まるで心を読んだかのようにメディアが口を開いた。
 体の継ぎ目を指先で弄れながら、まるで世間話をしているかのように穏やかな声で、
「上手く魔法を使えないから。
 だから人間でも殺せたのよ。調子にのるから怒らせるの、魔女を、おばあちゃんを。
 見てごらんなさいよ。あんなに怒ってる、わたしをハロウィンの日にだけ自由に動か
すために、あんなに人間を殺してる。
 この街全部呪われてる。
 ぜんぶ、ぜーんぶ、あなたのおじいさんのせいよ。
 この街に起きる悲劇はすべてあなたのおじいさんのせい、孫のあなたのせい」
「なんで……っ、関係ない……!」
「あるわよ。
 わたしは言ったわ……初めて自分で作り上げた体であなたに会った時」
 闇が降り注ぐ。
 まるで雨のようだ。
 恐怖が、苦痛が、すべてを包み込む。
 その中で聞こえる確かな声。

――殺された魔女をかわいそうだと思う?――

 なんて答えた?

「魔女だから、殺されても仕方ないよね。
 魔女の呪いだもの、殺されても仕方ないよね」
 メディアが笑う。
 恐怖に顔が引き攣った。命を請うこともできない。
 殺される――
 ころされ――――




 魔女の丘、彼は独りで横たわっていた。
「おい、ネメア。こんなところで寝てると風邪引くぞ」
 頭の上から聞こえる声に反応し、目を開く。
「あぁ。なんか夢見が悪くて――」
 動かない手足、足元が熱い。
 何が起きている。なにが、なにが、なにが。
「最期の夢が悪夢とは……お前、つくづく呪われてるな」
 冷たい眼差し、どうしてそんな眼で見るのか見られるのか。
 困惑する彼の耳に声が聞こえる。
――魔女の呪いだもの、殺されても仕方ないよね――
「お前を殺せば、この街の呪いも解けるだろうってな。
 全部、聞いたんだよ。この丘で、お前が一人で喋ってたからな」
 何を言い出すのか、そんなことで呪いは解けたりなんてしない。
 魔女の呪いはもっと深い、あの怒りはこんなことくらいで消えたりはしない。
「待て、まだっ続きがあるんだ! 魔女の呪いは、魔女の呪いは!!!」
「幼馴染が苦しむ姿は見たくないから、一瞬だ。
 じゃあな……ネメア」
 抜かれる拳銃。
 銃口がこちらを向いて、トリガーが引かれ――


――終わらない、こんなことじゃ。魔女の呪いの続きは、この後にあるのに――




 硝煙の臭いと共にネメアの亡骸を埋葬する。
 その様子を眺めている少女が一人。
「おい、そんなところにいると一緒に埋められるぞ」
「そうね、みんな埋められるのも悪くないと思わない?」
 黒いローブは喪服なのか、それともハロウィンの名残なのか。
 ハロウィンから一晩あけて、観光客も軒並み帰還してしまったこの街は静寂に包ま
れていた。誰一人として家の中から出てこようとしない、ただ怯えるだけ。
 ネメアを殺すことに反対した老人たちの言葉を聞いて、恐怖するだけ。
「なんだよ。この街の周りの山が崩れるとでも?」
 少女が笑う。
 赤く光眼で。
「うんっ!」
 揺れる大地を誰が止められようか。
 上空にある闇を大勢の魔女だと誰が気付こうか。
「わたしを殺した血族は一番辛い死を、この街には大いなる母の抱擁を」
 歌うように、その声は告げた。



――魔女の呪いには続きがあるんだ! あの血族の最後の一人がこの街の住民に
殺されると同時に発動する呪いが! ネメアを殺しちゃいけない、殺したらみんな死ん
じまうんだ!!――


 すべてが奈落に堕ちる中でメディアは笑っていた。


「同族を手にかけるなんてサイテー、せっかくヒントをいくつも置いていったのに」

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