消えた亡骸、戻された亡骸。
 幾多もの謎を孕んだ丘は、ハロウィンの夜にのみ見られる赤い月に
照らされて――


「何を悩んでいるの? ネメアさん」
「答えもヒントも何も見つからないんだよ」
 背後から聞こえた声に彼は反射的に返していた。まるで十年来の友人
にたいして語りかけるように。
「……っと?」
 頭の隅を過ぎる違和感。それに気が付いた彼は暗い地面を見下ろして
いた眼差しを上へと向けた。赤い月が嘲笑う夜空に溶け込むかのような
黒が視界に広がる。
 頬を撫ぜる風は生暖かく、今にも皮膚を削いでしまうのではないかと思
うほどに鋭く感じられた。
 その風に髪を揺らしている娘が一人。
 年は十代後半から二十代前半――自分とあまり変わらないだろう年の
娘は、夜の闇のような完全なる黒ではない黒の髪を腰まで伸ばし、その
身はハロウィンのために誂えたのだろう、魔女の衣服を纏っていた。
 とこまでもリアルな黒のローブ。
 たとえ、返り血を浴びても目立つことのない、暗殺者のローブ。
「ずいぶんかわいい魔女もいるもんだな」
「やだぁ、お世辞言われたってお菓子あげないわよ。今夜はわたしが貰
うんだから」
 コロコロと笑う少女。どうも名前が思い出せない――ここまで気軽に話
し掛けてくるのだ、過去に面識があったのだろう。一方的なものではなく、
双方に何かしらの感情を持つ程度には。
 まじまじと少女を見詰めても、その答えを見つけることはできない。
 浮かび上がるのは、魔女の丘で遭遇したハロウィンの怪に巻き込まれ
た哀れな少女の姿。お菓子を貰うために魔女の仮装をし、嬉々として街
中を走り回っていたのだと母親から聞いた時は言葉を失った。
 今までに殺された子供たちはみな、魔女の姿――またはそれに近い仮
装をしていたのだ。ハロウィンの晩に出て行った子供は帰ることなく、その
数年後に遺体として発見される。
 魔女の丘で、まるでついさきほどまで生きていたかのように瑞々しい亡骸
を家族に晒す。
 すべてはハロウィンの晩に起きる。
 これを街の老人たちは魔女の呪いと呼んでいた。
 いまや、名前を知るものすら少ない魔女の呪いだと。
「ネメアさん? ネーメーアーさんっ」
「――!! は、あ。ごめん。ちょっと考え事してて」
「何を考えてたの? すごく怖い顔してたわよ」
 唇を尖らせる少女。よく見ると、年齢はかなり低いのかもしれない。
 十代後半というよりも、十代の半ばかそれよりももっと幼く見える。先ほど
とは違う印象にネメアは首を傾げた。
「ねぇ、ネメアさん」
 鈴のような声。
 すんなりと心の奥へと入っていく、どこかで聞いたことのある声。
 柔らかく微笑む少女は、淡く色付いた唇をどこか妖艶に動かした。
「わたしのおばあちゃんがね、ハロウィンの仮装は絶対に魔女以外にしろっ
て言うの。
 どうしてかな? 魔女のかっこうってかわいいのに」
 隣りの席に腰をかけて。
 テーブルの上で腕を組んで頭をたれる。闇夜を髣髴させる反面、その黒
曜石のような美しい双眸に思わず魅入りそうになる。息を呑むネメアの理
性を、鈴のような声がぐらつかせた。
「知らない? ネメアさん。おばあちゃんが言ってたのよ。
 ネメアさんなら知ってるって。魔女がいけない理由も、呪いも、全部……って」
 まるで暗示だ。
 祖父から伝え聞いたこと、決して他人に漏らしてはいけないこと、そのすべ
てを洗いざらい話してしまいたい。市長にも言えない真実を、誰も知らない呪
いの裏側を――――
「きみ……名前は?」
「忘れちゃった?」
 大きな瞳がまっすぐにネメアを見つめる。
 それは決して責めているのではない。まるで、試しているかのように。彼の
返答を待つ少女の顔は、玩具を見つけた子供のように輝いていた。
 なにをして遊ぼうか。どんなことをしようか。
 何を考えているのか分からないその表情。浮かぶ笑みは無垢なる残酷さ
を秘めているようにも感じられる。警官になるための試験で見た狂気の犯
罪者と酷似している気がした。
 無邪気の仮面の奥の邪気。
 漆黒のローブは魔女の衣。
 返り血も呪いも気付かせない闇夜の衣。
 鼻先を掠める血のにおい。
「わたしはね――」
 少女の表情が分からなくなる。
 その顔は確かに笑っているというのに。そこにいる少女は紛れもない人
間で、ただ魔女の格好をしているだけだというのに。祖父の語る恐ろしい
姿と重なる、お伽噺にも等しい存在に骨が生まれ、肉が付き、その存在を
確かなものにしていく。
「メディア。忘れるのも仕方ないよね、わたしがネメアさんと会ったのはずっ
と前だし、そのときとわたし、ずいぶん変わっちゃったから」
 メディアと名乗る少女を見るネメアの双眸に落ち着きが戻る。頭の中で渦
巻いていたものがなんだったのか自分でも理解していないらしく眉尻を下げ、
眉間にシワを寄せた。
 確かに女の子の成長は時として、顔をまったく別人に変えてしまうという。な
らば、この少女――メディアに見覚えがないのは、出会ったことがないのでは
なく変わりすぎて分からない、ただそれだけなのかもしれない。
 感じる懐かしさは昔を懐かしんでいる――そうに違いない。
 自分を納得させるために頷いたネメアは、氷が溶けて薄くなった琥珀色の水
を一気に飲み干した。
「わぁ、やっぱりネメアさんって――――にそっくり!」


 カシャン、


「……え?」
 不安が頭をもたげる。
 グラスが砕ける音に誰かが悲鳴をあげるわけではない。ただ、無音の静寂が
続くばかりの酒場――よその街からの来訪者はどうした、いつからこんなに静か
だった。
 どうして誰もいない酒場で二人は出会った。
「い、いま……なんて」
 声が震えた。
 込み上げてくるのは先ほどのみ干した安酒――否、あれが本当に酒だったの
かすら分からない。鮮明になる記憶は、先刻までの彼を全力で全否定するのだ。
 魔女の丘を降りて、執務室へと向かっていた彼の横をすり抜ける小さな魔女が
一人。
 その姿が目の前で消えて、驚いて追った先にこの店があった。
 違う、追おうと身を翻したその瞬間、彼はここに足を踏み入れていたのだ。音の
ない酒場へと、姿を消した魔女が佇む闇の館へと。
「何度でも言うわよ。
 ネメアさんってそっくりね、あなたの――」
 冷たい言葉が降り注ぐ。
 その言葉に特別な力はないというのに、まるで千本の槍に射抜かれているかの
ように全身が痛む。恐怖に心が折れそうになる。込み上げてくる涙を止める手段
が分からない。
 言葉を失くしてしまったかのようにその場で座り込み、頭上から降り注ぐ言葉を
待つことしかできなかった。
「魔女の呪いを成立させたおじいさんにソックリね」
「なんで、きみがそれを!!」
 思わず立ち上がる。しかし本当に立ち上がったのかは分からない。
 足元は闇の沼。何もないところに足だけが二本伸びている。
 つい先ほどまでイスに腰掛けていたメディアはテーブルがあった場所で上下逆
さに立っている。重力なんてものが存在しないかのように、またはネメアが逆さに
なっていると錯覚させるような光景に目を奪われる。
 長い黒衣の裾は捲れることなく天井へと向けて伸びている。やはり、逆さになっ
ているのは自分かもしれない、魔女の呪いでこのまま吊るされ、殺されるのかも
しれない。
 不安が肥大化し、呑み込まれそうになる。
「わたしが知ってるのは当然じゃない?
 だって、わたしは魔女メディアよ? あなたの先祖が殺した魔女自身なんだから」


 ながいじかんをかけて
 のろいは成就するだろう
 なまぐさい
 血を
 糧に