ハロウィン生まれのお化けちゃん。
 それが彼女のあだ名。
 望んだわけではないけれど、そう呼ばれるのだからしかたないと
割り切って。
 今日も肌をジリジリと焦がす陽の中を駆け抜けて、頬を突き刺す
ような冷たい風の中を一気に走る。
 もうすぐ校門が閉まる。
 大変だと叫んで、それでも口にくわえたトーストは絶対に落とさない。
 遅刻遅刻ーなんて叫びながら駆け抜ける。
 できればそこの角で素敵な出会いがあるといいな。
 それこそ、古きよき少女漫画みたいに。


 ――まぁ、原実なんてそんな甘いものじゃないんだけどね。


 それが彼女のある意味最後の言葉。
 次に零れたのは言葉なんて風雅なものではなくて、獣じみた呻き声
だったのだから。
「うぐぉあっ!?」
 視界がぐるりと回って肩にかけていた鞄がどこかへと飛んでいく。気
に入っていたシャーペンが無残にも通りかかったバイクに破壊され、実
は最近おろしたばかりのローファーがドブの中へとダイブする。
 それだけでもギャグ漫画だというのになんてことだろう。
 バランスを崩して倒れたその先には――
「かっ、かぼちゃー!?」
 なぜか山ほどの南瓜が置いてあったそうだ。
 南瓜の山に顔から突っ込んで、イチゴのジャムをたっぷり塗りたくった
トーストを砕けた南瓜の味に染めて、鼻の奥まで南瓜の匂いが染み込ん
できた。
 きっと今、私は南瓜になっている。そんなことを思ったのも束の間、彼女
の手を引っ張る第三者の手の存在に気が付いた。
「だいじょうぶ?」
 倒れた女子を起こそうとする紳士的な手の存在に、ついつい南瓜の国へ
と逃避しかけていた彼女は、南瓜色に染まるかと思っていた双眸をキラキ
ラと輝かせて立ち上がった。
 こんなとき、乙女は少年漫画の美形キャラばりの回復力を発揮するのです。
 五つほど年上の姉の口癖を胸に抱いて、彼女は立ち上がった――
 そして、絶望した。
 ぶっちゃけ、人生において希望なんて小鼻の黒ずみレベルの大きさだよね?


「……いやいや。ありえないし」
 開口して一声。その言葉に紳士的な手の持ち主は、困ったように首をか
しげていた――いや、そもそもそれを首と呼んでいいのかすら躊躇う。確
かに首といえば首なのだろうが、その先に繋がっているのはどこからどう
見ても、仮に百歩から一億歩ほど譲ったところで、これを頭というのは全
国の人間に失礼だとも思うし、しかしこれを別のものに例えるのも本家に
失礼な気がする。
 真剣な顔で悩んでいる彼女の顔を覗き込んでいる紳士的な手の持ち主
は、今まで生きてきた中で一番大きいだろうと思われる目をまばたき一つ
させぬまま佇んでいる。
 身長は、南瓜何個分とかいったほうがいいのだろうか? もちろん、体重
もそうやって表すに違いない、これはそういう類の生き物だ。
 乙女センサーが反応したわけではないが、クラスメイトが叫んでいたこんに
ちは何とかいう白い猫のことを思い出し、思わず目の前にある黄色いような、
山吹色のような表面を凝視する。
「何がありえないんだい?
 何かを否定するということはとても悲しいことだよ? 君は知らないのかもし
れないけれど、否定された人は悲しくて悲しくてどうしようもない気持ちになる。
 種族は血がっても命は命ということに変わりはないのだから、何かを否定し
てばかりじゃなくて受け入れようよ。
 そうした方が君にとってもいい結果を生むと思うよ、僕は」
 ワンブレスで告げられた言葉に彼女は言葉を失った。
 だが、すぐに思い切り息を吸い込むと――


「南瓜に説教されたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!???」


 全力で叫んで、そのまま眠りに――違う、気絶した。
 トーストはどこにいったのか知らないし、なんでいきなり南瓜の山が現れたの
かも知らない。ただ、目の前にいるのは確かに南瓜を頭っぽくした人間のよう
な何かというか、やっぱり南瓜に胴体が生えたようにしか見えない。
 生意気にもタキシードなんて着てて、さらに言えばスタイルもいいけど、やっ
ぱり人間には見えない。だって南瓜の頭部は被り物なんじゃなくて、本当の頭
なんだもの。
 ただ黒いだけの目と南瓜の皮がぎざぎざになって歯っぽくなってる。
 これを人間と認める方が難しいと思う。

――でも、君もお化けちゃんでしょ?――

 薄れゆく意識の中で聞こえた声。
 それはどこか悲しげで、どこかはかない、どこかで聞いたことのあるものだった。
 忌まわしいお化けちゃんの響きと、南瓜の甘い匂い。
 そういえばどこかで、南瓜がたくさんあるところで…………



「はーい、今日はハロウィンでーす!
 みんなはお化けになれたかなぁー?」
 元気のいい声がする。
 若くて、美人で、人気者な先生の周りにはシーツをかぶったお化けが群がっ
ている。その手には小さなポーチ、お母さんが持たせてくれたお菓子入れ。
 学校を廻ってポーチにお菓子を集めるってレクリエーション。考えついたのは
この先生らしいと家を出て行くときにお母さんが言っていたことを思い出した。
 視界一面の白いお化けたち。
 これに恐怖を感じることはないが、どうして六年生はお菓子をあげる側なのか
と少しだけ不満に思った。本当にそれだけだったのに。
 こんなたわいもない遊びが、何であんなことに繋がったのかは分からない。
 何年経っても、分からない。
「れいこちゃんは今日が誕生日なんだよね?」
 突然問われ、れいこと呼ばれた幼き日のお化けちゃんは瞠目した。学年も違
えばクラスも全然関係ない先生が話し掛けてきたことが珍しいのではない、誕
生日を覚えていたことに驚いたのだ。それだけではない、なにゆえこの先生は、
冷めた眼差しでこちらを見ているのだろう。
 お化けちゃん――れいこは、不審に思ったものの、特に何を考えるわけでも
なく頷いた。
「そうだよ、今日は誕生日。だからケーキはかぼちゃの――」
「みんなーれいこちゃんも仲間に入れてあげてー? れいこちゃんは今日が誕
生日のお化けちゃんだからー!」
「へ?」
 ―― 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
 六年生である自分はお菓子をあげる側の立場で、全体的にこのレクリエーショ
ンには関係ないポジションにいたはずなのに。気付けば中心にいる?
 嬉々とした顔のクラスメイトたちと一年生たちと、シーツのお化けたち。
「せ、先生?」
 若くて、美人で、みんなに好かれる先生が笑ってる。
 悪気のない顔で笑って、大粒のキャンディーを握らせてくれる。
 耳元に唇を寄せて、甘い匂いとタバコの匂いが混じった匂いで告げる。
「ほら。仲間の所へいっておいで? おばけちゃん」
「いやいや、ほら。せんせ……」
 呼ぶ声がする。
 背後のからの呼び声、お化けちゃんと呼ぶ声がする。
 小さなお化けたちがそう呼んでいるのを嬉しそうに眺める先生、その手には何
本かの針が握られていて、いつのまに刺されたのだろうか? 手の平には血の
粒がいくつも浮かんでいた。
 何がなんだか分からない。
 南瓜の匂いがする。
 家に帰ったら食べられる――南瓜のケーキの匂い。
 大好きなケーキと南瓜の混ざった匂い。
「……せん……」
 真っ白なシーツをかぶせられて、悲鳴をあげるよりも前に甘いキャンディーが
口の中いっぱいに詰められた。何が起きたのか理解するよりも前に、どうする
べきかを理解するよりも前に、頭の奥を支配するような強い南瓜の匂いに手を
引かれた。
 体が冷たくなって、手を引っ張ってくれる南瓜の匂いも遠くなって。
 眠いのか眠くないのか分からなくなっていた。
「誰かを否定するのは悲しいことだよ。
 南瓜が嫌いな子供がいるのは仕方ないだろうけど、だからって否定しちゃよくないよ。
 君も否定されて悲しいでしょ?」
 わけの分からない質問をされている。
 れいこが答えに困っていると、声の主は手を離して立ち止まった。
「お化けちゃん。
 今日もハロウィンだよ。ずっと君の誕生日のまま、君は毎日誕生日で、毎日年
をとらないで止まってるんだよ。南瓜たちに隠されて、ずっと眠ってるんだよ」
 ずしりと圧し掛かる南瓜。
 頭が痛い。
 ハロウィンの歌が聞こえる。
 小さい子供たちの合唱。
 ほのかな血の匂いと強烈な南瓜の匂い。
 訳がわからない。
「お化けちゃんってあだ名、ダサいよ……お化けちゃんじゃなくて、私はれい……」
 抗議しようと口を開けば、口の中いっばいに南瓜の味が広がった。甘い甘い、
まるで果物のようなその味に思わず吐き気がした。
 大好きな南瓜なんて食べたくない。
 大好きだったのに。
 もう、食べれない。
――お化けちゃんはお化けちゃんらしく、お化けになっちゃいなさいよ――
 ランドセルが畑に投げ込まれた気がする。おばあちゃんの畑に連れて行かれて、
南瓜畑でランドセルを取られて、姉のお下がりを返してと叫んでいる内に疲れて、
座り込んだ。
 そこで記憶が一度途切れた。
 まるで壊れたテレビのようだと思いながら続きを探せば、次の瞬間には世界は
すべて南瓜だった。
 手足は動かなくて、南瓜の匂いしかしなくて、息苦しくて。
 真っ暗な闇の中で声だけが鮮明に聞こえた。

「これであの人は私のものよ。
 子供がいなければ離婚してやるって……言ってたもの……!!
 やっと邪魔なガキが消えてよかったわ、これであの人と……」

 りこん?
 誰と誰が?
 答えなんて聞かなくてもわかる。
 れいこは動かない体を憎むように歯を食いしばった。
 声はまだ続いている。
 南瓜の匂いがする。動かない手を握る手の体温も感じる。
「ほら、否定されてるよ。どうにかしないと!」
 紳士的な声が告げる。
 南瓜を頭にした紳士、その手が何かを引っ張ってくれた。
 ずるりと体が持ち上がって、それでも視界は暗いまま何も変わらなかった。
 ただ、自らの手に大きな鉈が握られていることに気付いたくらいで――何一つと
して、解決していないし、終わってもいないことに気が付いた。
「おばけ……ちゃん?」
 先生の声がした。
「なんで、生きて……大好きな南瓜に詰めて、窒息させたと……なんで」
 もしもこれが推理小説だったら最悪だ。父の言葉を思い出して、れいこは鉈を振
り上げた。
 南瓜の匂いがする。
 甘い、におい。
 血の、におい。



「否定されて悲しかったよね。だから君も僕たちを否定しないで一緒においでよ」





 ずいぶんと前から彼女はお化けちゃん。
 ゆったりと南瓜の上に腰を降ろして、親族やクラスメイトたちのくれるお菓子を眺
めてる。見るたびにクラスメイトが成長していく姿がちょっとだけ羨ましいけれど、こ
んなに美味しい南瓜を知らないのはかわいそうだ。
 こんなにも甘いのに。
 抱えていた南瓜を食べ始めたれいこは、隣りで頭を文字通り抱えている紳士南瓜
へと目をやった。
「つか、ここどこ」
「南瓜の国だよ。畑一面の南瓜なんて素晴らしいからここに建設したんだ。
 ところで、そんなことよりも――」
 スプーンをつかってすくって食べる。
 大きな南瓜を鉈で真っ二つにして、中身を食べましょうよ。
 お母さんのケーキは食べれないんだから。
「美味しい?」
 紳士的に問われ、れいこは南瓜へと頭をたれた。

 優しくて、美人で、若くて、みんなに好かれる先生。
 お化けちゃんのパパのことが大好きだった先生。
 本当に美人だったのかな?
 覚えてない。

「とてもとても、おいしいよ。
 南瓜の味なんてしないけど」


 今さっき、先生の頭は二つに割れちゃったから。
 れいこの頭もちょっと前になくなっちゃったから南瓜で代用。
 南瓜のお化けちゃんってことでしばらく手を打っといて。


「あ、そうだ。はっぴーはろうぃん、夢だったら早くさめてよ学校遅刻する」