――血が、止まらないんだ。



 誰か聞いてくれよと叫ぶ声が闇の中で消える。
 頭を抱えて泣き叫ぶ子供は誰に誘拐された? 答えを求めるよりも前に時は
残酷にも少年を過去へと追いやってしまった。
 置いて行かれ残された幼い弟は正体の分からぬ恐怖に小さなヒザを笑わせる。
 ここには闇しかない。
 闇よりもさらに暗い夜がすべてを包む場所。
 それがここだと誰かが言っていた。
 それが誰だかを思い出すよりも前に、汚さないように気をつけていたキレイな
手が血で汚れていく。赤黒い臓物が本当は肉の色をしていることに気付くよりも
前にすべてを口に運んでなかったことにしてしまえと脳が命じた。
 血の通わない白い肉片を埋めて隠してしまえと誰かが叫んだ。
 動揺して取り落とせばそれがナイフだと理解できた。カランと渇いた音を立てて
転がったそれは無残にも体温のないマネキンへと突き刺さって、周りで叫んでい
た誰かの声をさらに煩く周囲へと響かせる。
 やめてくれよと誰かが叫んでも止まらない悲鳴。
 胸の内に渦巻くのは怒りだか苛立ちだか、説明のつかない感情の渦は、まるで
それ自身が凶器であり同時に狂気であるかのように、少年の手の平にナイフを呼
び戻すのだ。
 少年にナイフはよく似合う。
 どちらも危なっかしい、使い方さえ間違えなければどちらも愛らしい玩具であると
いうのに。
 狂気を振り回す少年も、凶器として振り回されるナイフも、どちらも厄介で仕方な
いと感じるのは脳の奥の奥、解剖したってわからないような一番深いところに刻ま
れた本能が告げるものなのかと考えた所でナイフが邪魔な大木に刺さった。
 無口な大木は真っ赤な涙を流して叫んだ。
 なんで俺を殺すと。答えは簡単だと誰かが叫んだ、その声を聞かぬままに大木
は死んでしまったけれど。
 気付けば夜は夜のまま朝を迎えようと、西の海に沈んだ太陽を東から引っ張り
出している。
 やめてくれよと叫んでも意地の悪い太陽はニヤニヤとその汚らしい顔を持ち上
げる。あぁ、アンナ顔を見るくらいならば真っ赤に染まった月に愛を囁いて首を吊っ
た方がどれほどマシなことか。
 勘弁してくれよと、やめてくれよと、叫んでも叫んでも届かない声なんて消してし
まえばいいと。誰かが叫んで頭が破裂した。
 白黒する世界の中で少年は彼と会話する。
 言葉のない会話はなんて味気ないことだろう、どうしようもないくらいに血の臭い
を感じたいと、純白に黒を数的垂らして濁った学び舎で血を感じたあの瞬間から
虜だろうよ誰もかも。
 雄の本能が導く雌への探究心が血の臭いに目覚めるきっかけなのだよ、ここに
いる奴らは全員知っているだろう? あの、顔を顰めたくなるような臭い、そこから
紡がれる命の香りを知って、此処にたどり着いたのだろう?
 雌の子宮が紡がれない命の欠片を廃棄するように彼らもまた命の欠片を廃棄する。
 死したいくつもの意思なき意思に導かれるようにしてここに集ったのだ。
 持ってくるものはただ一つ、己が躯ただ一つ。
 生贄はもう用意しているからと死神が電話口でそう告げた。それを信じて集まっ
た酔狂なバカども、夢と現実の区別もつかない人生のゲーマーは躯一つで手にし
ようとした。
 命の欠片を命にする手段を。
 あぁ、されど残念だ。
 命に拒絶されて今は冷たい床で転がってる。
 命の欠片の片割れに許された抵抗は、殺――それだけ。
 息を切らせて全裸のまま血塗れの金属バットを振り回す、ゆれる乳房に劣情を
覚えて前屈みになった一人の頭が叩き割られた、ザマーミロと叫んだ命の欠片の
片割れは泥だらけの顔で笑った。
 そんなことをしている間に夢魔の手が伸びるよ、命が欲しいと伸びる。
 命を得る前の快楽が欲しいと鎌首をもたげる蛇が叫ぶよ、白い涎たらして震えるよ。
 逃げてごらんよどこまでも、ドコまでも追いかけるよ彼らは。
 白い肉を花壇に埋めながら少年は笑う、命に拒絶された雄たちの体温が下がっ
ていく様が楽しくて仕方ないといわんばかりに動かない人形にナイフをつきたて、動
かぬ胸に尻を乗せてくつろぐ。
 今現在、穴の収容人数はざっと四人。
 まだまだ足りない、もっともっと広く深く掘らないと。
 まだまだ増えるよ、だって気持ち良い事が好きな彼らだからね。
 どこまでも逃げて抵抗していいから走り回って踊って、いつかその足を切り落そうよ。
 潰れた頭と同じさ、ちょっと痛いだけ。後のことは任せられるのだから――




「あーあー……」
 真っ赤な月の下で首を吊ったのは全裸の雌。
 動かないし重いし臭いし硬いし、こんなのいらないと雄が散ったのが十分前。
 積み重ねられた亡骸の中で一人が立ち上がった。顔の半分を喪失し、腕を人間と
してありえない方向に曲げたまま笑う。
 ニタリとした笑みの奥で欠けた歯が見えた。
「せめてトドメ刺してから逝けばいいのに」
 ドクドクと流れる血すらもない。
 何で生きてるのかと首のない友人に問われ、彼は笑う。
 みんな生きてるから生きてるんだよ。
 笑い声が満ち溢れる闇の中、血が止まらないとボヤきながら酒を呑むことにした。
 久しぶりの酒だ、きっと気持ちいい。


 頭がない事になんて気付かないほどに。
 躯がないなんて気付かないように。


 ここは保管室。
 狂気を収納する場所。
 彼もまた狂気か凶器、困ったことにとても性格が悪い。
 今宵もお待ち申し上げます。
 生贄の生娘と命の種を。

 それでは皆さんサヨウナラと、告げて屋上から飛び降りた僕達五年三組。
 校庭を真っ赤に染め上げてリングを貰うよ、あのかわいい姫から。


 彼の頭が砕かれたぽたぽたなんかたれてる。
 ちょっと慌てて言えばハンカチくらいは貸し出すよ。一回三千万。
「わり、ちっと借りる」


 ぽたぽた、行儀の悪い血だこと。
 こんなのいらないと。


「あ、やべ。
 血が止まらないーオレ死ぬのヤダ」


 血が止まらないながらも生きていきましょうやお姉さま。

 

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