親愛なる君へ。
 こんなことを書いている自分が軽く信じられない。
 けれどこの文字は確実に君がくれた便箋の上に刻まれてる。
 君に届くことを夢見て綴られてる。
 だからきっとこれは僕の白昼夢なんかじゃない。
 現実にキミを思ってこの手紙を書いている。
 この先にどんなことが待っていても、君が僕を覚えていてくれるように、
僕を想ってくれることを望んで書いてる。
 慣れない手紙だからおかしくても笑わないでくれると嬉しいな。
 いや、笑ってもいいよ。
 きっと手紙を見終わった君は泣いてるだろうから。
 せめて今は笑ってて、これを書いてる僕も笑ってるから。


 そんな書き出しで始まった一通の手紙。
 何を今更と思わないまでも、彼女はテーブルの上に置いたコーヒーカッ
プ片手に差にその下の文章へと目を落とした。
 なんて汚い文字だろう。
 いつもいつもメールに頼ってるからこうなるのだ。あれほど注意したのに、
何一つとして改善されてない、こういうところが腹立たしいから怒っていたと
いうのに。
 結局何一つとして話を聞いていないのだあの男は。
 脳裏に浮かび上がる姿は、いつもと同じへらへらとしたゆるい笑みを浮かべ
ており、そのやる気のない態度が余計に腹立たしかった。
 何もできない小さな男だと思っていたのに――


「……っ」


 小さく息を呑んで、続きを読む。
 汚い、汚い、読みづらい文字を。
 まるで暗号でも解読するかのように。



 ここはとても寒い。
 仲間内でくっついて寝ないと翌日には凍ってるくらいに。
 けど、隣りのヤツがワキガなんでそろそろ限界です。
 臭いで死ぬのと凍って死ぬのはどっちが辛いと思う?
 僕はどっちもどっちだと思うので、寝る位置を変えようと思う。
 もう少しフローラルな香りで寝たら君の夢だって見れそうな気がするし。
 ここではトイレすらフローラルな香りじゃないけどね。
 ブツそのまんまの臭いで凹むよ。
 というかトイレじゃないしさ。
 あれっていわやるツボだよ。たまったら捨てるタイプの。
 汚い話でごめんね、ご飯食べながら読んでないよね?
 読んでたらごめんね。特にカレーだったりしたら。
 僕のいる場所の事を知ってもらいたくて書きました。
 怒らないでね。
 笑って気分を盛り上げて。
 手紙の返事が届くことは期待してないけど、この住所がいつまでも使えないこ
とくらい知ってるし、そんな覚悟決めてここにきたわけだし。
 君も知ってて、理解してくれたから送りだしてくれたんだし。
 僕としては後悔してないんだ。
 後悔はね。
 でもね…………
 ちょっとだけ、君に会えないのが辛い。
 ここに来て一ヵ月経って、仲間は半分になったんだ。
 みんな酷い死にかたしてる。
 動物に襲われたり、悪魔って罵られて住民に殺されたり。
 病気に感染して死んだやつもいる。
 恥ずかしいことに逃げ出したやつも。
 半分になった今でも、仲間たちは誰も帰りたいなんて言わないんだ。
 現状をどうにかしたいんだろうね。
 僕もそう思うし。
 死んでいった仲間の分まで頑張ろうって。
 もしかしたら、ここにいるみんなは覚悟を決めてるのかもしれない。
 家族にもう会えなくてもいいから、目の前の子供を救おうって。
 目の前で家族を失って泣く人を見たくないって。
 昨日は一人助けられて、あとの二人は手遅れだった。
 けど、息を引き取る間際に子供は言ったんだ。
「ありがとう」って。
 お母さんも泣きながら「ありがとう」を繰り返してて、むしろ僕は苦しかったよ。
 助けられなかったのに。
 泣きながら子供を抱き締めるお母さんを見てると、去年の君を思い出したし。
 あの子も助けられなかったんだよね、僕は。


 どうして旅立ったか。
 何を決めて、何を覚悟して。
 彼女は写真立ての中で笑う幼い子供を見遣った。
「……あきら……」
 小さくその名を呟いて。
 失った瞬間を反芻する頭を小さく振る。
 彼が悪いわけではない。
 確かに彼と同じ職業のものが犯したミスだった。
 小さな命は瞬く間に奪われ、この家から一つの灯りがきえた。
 本当に小さなミスだったのだ。彼がカルテに書き加えていた、あの子のアレルギー
を見落としたばかりに、小さな命が潰える瞬間を目の当たりにしてしまった。
 投与された薬に苦しみ、病とは違う理由で死んでいった子供。
 両腕に抱いた子供の体温が消えていくのを感じた瞬間こそ殺意を抱いた。けれ
ど、それより大きく圧し掛かってきたのは彼の苦しみだった。
 止まってしまった時計。
 それは彼の心そのものだと。
 彼の心はあの子を失ったその瞬間からとまってしまったのだと。
 自分が犯したわけではないミスを自らのものとし、それを償うためにかの国へと飛
んだ。
 感染の可能性があるからと再三説明された。だが彼は迷うこともなく、まっすぐな
眼差しで頷くだけだった。
 呆れるくらいに優しい人は家族三人で撮った写真を片手に旅立った。
 手紙を送るからと笑って。

「……なんで……」

 三枚目の便箋は汚れていた。
 赤黒く、何か濡れたものが触れて、渇いたかのような。
 嫌な予感がした。
 この封筒を目にしたその瞬間から、ずっと。



 君は賽の河原を知ってる?
 親より先に死んだ子供が行く場所。
 僕は信じてるんだ。
 きっと、あきらはそこにいるって。
 泣きながら石を積んでるはずだから、僕が助けに行かないと。
 僕はあの子の父親なんだから。
 あと、助けることのできなかった子供たちを。せめてもう泣かなくていいように。
 子供たちを天国に連れて行くのが今の夢だよ。
 生きてる間に出来ることはもうないみたいだから。
 違うなあ。
 何もできないみたいだから。
 ご  ね。便箋が汚れ  って。
 実は  間に感染した病  みんなに感染して、全滅寸前なんだ。
 僕も昨  ら吐血が始ま   こんなに便箋が汚れちゃった。
 気合で解読して。
 書き直す勇気なくてさ。
 自分の死と向き合うのはもうちょっと先だと思ってたのに。
 孫とか見たかったのに。
 君が悪いんじゃない。僕が悪いんだと思う。
 アイツと教育できてなかったのは僕だから。
 あきらに謝らないと。
 あんなに小さかったのに。
 僕が守らないといけなかったのに。
 ねえ、君は僕と結婚したことを悔やんでる?
 僕はずっと幸せを噛み締めてきたけど、君はどうだろう。
 突然勝手なことした僕を怒ってるかな。
 あきらを殺した僕を怒ってるよね。
 でも、僕は幸せなんだ。
 凄く苦しいけど、君のことを思い出すと安心するから。
 笑ってあきらに会いにいける。
 あきらの手を引いて、歩ける気がする。
 ありがとう。
 こんなまとまりのない手紙をここまで読んでくれて。
 大好きだよ、愛してる。
 もしも生まれ変わりがあるなら、また君の旦那になって今度こそ家族三人で幸せに
暮らしたいな。
 三人で  になろう。
 できれ   、ずっと笑っていてくれますように。
 大好きな    嫁さんへ。
 だめだめ  り  を込めて。



 血のついた手紙。
 最後の日付は二週間以上前。
 切手も消印もない。
 当然だ。
 これは、誰かがその手で投函したもの。
 誰一人として帰って来なかった医師グループ。
 この手紙だけが帰って来た。
 小さな石と一緒にポストの中で待っていた。
 彼女が目を覚ますのを。
「……ほんとに……自分勝手なんだから……」
 封筒には小さな手形。大きな手形。
 仲良く並んで、まるで手を繋いでいるかのように。
「私も一緒にいるべきじゃないの?
 私は母親よ、妻よ? 私だけ置いてけぼりっておかしいわよ」
 涙を堪え、上擦る声のまま封筒を睨みつける。
 赤い手形。
 小さな手形と大きな手形の真ん中へと。
 二つの手形を繋ぐようにその手を下ろして。
「あなたとあきらの間には私がいるべきでしょ……!
 繋がってるんだからね、私たち……家族は」
 白紙の一枚。
 そこに赤い文字が浮かび上がったことを彼女は気付いたろうか。


――うまれかわったら また おかあさんの こどもがいいな――
――生まれ変わったら また 君に愛される 旦那になりたい――

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