しとしと。
 しとしと。
 ざぁざぁ。
 ざぁざぁ。


 雨がやまない。
 傘もカッパもお母さんが用意してくれたけど。
 一つだけ忘れ物。
 たかしくんに届け忘れた大切なもの。
 ちょっと寒いお外でヒザを抱えてお母さん待ってるよ。

「どようびなのに……」

 かわいいほっぺをまあるく膨らませて怒ってる。
 泣きそうなくらいに怒ってる。
 まだお昼をちょっと過ぎたくらいだっていうのにお空はこんなにも薄暗い。
 まるで夜みたい。
 ちょっと。ほんとにちょっだけ怖いのにお母さんはまだ帰ってこない。
 今日は保育園が早く終わる日だから。
 お母さんのお仕事もお昼前には終わるはずなのに。
 一緒にご飯食べれたはずなのに。
 いつもは一人でお家に帰るたかしくんだけど、今日だけはお母さんとお
ててを繋いで帰れるはずだったのに。
 いつもの道を一人で歩いて帰って来たたかしくん。
 お母さんがお仕事に行く前に届けてくれた水色のパラソルをさして、大
きくなったからって新しく買ってもらった長靴を履いて。
 みんなお母さんと帰ってるのにたかしくんだけ一人ぼっち。
 ちょっとだけ。
 ほんとは泣かないけど、鼻水が出てきちゃったんだ。
 雨だから。寒いから。
 きっとお風邪をひいちゃったんだ。
「ぐすん……」
 ドアの前で座り込んで泣きべそかくたかしくん。
 早く帰ってきてよお母さん。
 帰ってこないと隣りのお兄ちゃんみたいにグレちゃうぞ。
 隣りのお兄ちゃんみたいにパンツ見せて歩いちゃうぞ。
 泣きべそかいて。かわいい顔をくしゃくしゃにして。
 だけどお母さんの車の音も、カツカツいう足音も聞こえない。
「おがあさぁーん……」
 とうとう声が濁っちゃった。
 大声あげて泣きそうなたかしくん。
 そのお耳に声が聞こえたよ。
「ヘイ! 泣き虫ボーイ? そこで何してるんだい」
「おかあさん待ってるのぉ……」
「そりゃーナイスだ! きっとオレみたいに雨で困ってるに違いないぜぇ、
ボーイのマミーは」
 怪しい声が聞こえたよ。
 上に住んでる外人さんかな。
 考えたけど、上の外人さんはお姉さんだ。
 この声ちょっと低い。
 それよりも上のお姉さんはもっと日本語が上手かった気がする。
 たかしくんちょっとだけ顔をあげようと思ったけれど――
「ノンノン! それはよくないぜボーイ」
 ちょっとオジサンみたいな声にダメって言われちゃった。
 見られると困る顔をしてるのかな。
 もしかしたら顔がないとか。
 そんなこと思ってたら怖くなっちゃった。
「おじちゃん……おじちゃんは、オバケ?」
 思わず聞いちゃうよ。だって隣りの席のエミちゃんが言ってたもの。
 雨の日はお化けがたくさん出てきてうじゃうじゃしてるんだよ。だから雨
の日の夜はお墓で運動会してるんだよって。
 だからきっとお化けかもしれないって思っちゃった。
「ンン〜? ゴースト? オレをゴーストといっしょにしないでくれたまえー。
 オレは優位所正しいマイ……ンンン?」
「マイ……?」
 何回か咳き込むと、お化けじゃないらしいマイなんとかさんはいつも威
張ってる同じ組のエージくんみたいに大きな声で言ったよ。
「マァ置いとけボーイ。オレは通称、葉渡りのマイだ。お化けでもおじちゃ
んでもないんだぜ。リアリィー?」
「女の子みたいな名前だね」
「オイオイ……オレはジェントルマンだぜ? 雨の日に泣いてるボーイに
話し掛けたんだからなっ。レディでも構わないけど、今はジェントルマンだ」
 マイくん? マイさん? は良く分からない言葉ばっかり使うけど、あんま
りにも楽しそうに喋るものだから。たかしくん泣いてたことなんてスッカリ忘
れてニコニコ笑い出した。
 鼻水をズズッとすすって。
 保育園でもらったスモックで涙をぬぐって。
「マイさん! ぼくねえ」
「コーラッ! 顔をあげるのはマナー違反だ。オーケー?
 もうじき雨が上がってビューティフルな虹が見れるぜ。そしたらボーイの
マミーも帰ってくるだろ。それまで上は見ちゃだめだからな」
 ほんとはマイさんのお顔を見たかったけど。
「うん……わかった」
 ちゃんと言うこと聞いたよ。
 褒めてくれるかな。
「よーしよしよし。ボーイはいい子だ。グッドボーイ!」
 きっとマイさんは親指立ててるぞ。
 お父さんと見た映画で外人のお兄さんが同じこと言いながら親指たててたもの。
 たかしくん、ヒザにおでこをつけてニヤニヤ笑う。お父さんに自慢するん
だってニヤニヤ。
「よーし。あとちょっとの間だけオレがお話をしてやろう。ヒァウィゴー?」
「ごー!」
 高くおててをあげて。
 マイさんのお話を聞くよ。
 なんだか聞き覚えがあるようなないようなお話ばっかけだど、変な喋り方の
マイさんのお話は凄く楽しい。保育園の先生が読んでくれる絵本みたいだ。
「それでソイツは言ったわけよ! オレがマイコの部屋を開けたらアイツ着替
え中でよ!
 ベッドの上に巨大なナメクジがいたんだよっ! ジーザスって思ったね!!」
「あははは。なんでなめくじなのー?」
「ハッハッハッ。ボーイにはまだまだ早かったかもなーハッハッハッ」
 マイさんの笑い声が止んで、代わりにちょっと驚いた声が聞こえた。どうしたの
かなってお顔を上げようと思ったけど、マイさんは上げちゃだめ。って言ってたか
ら耳をすましてみたんだ。

 カツカツ。
 コツコツ。

「あ!」
「ボーイのマミーが帰って来たみたいだな。雨も上がったしオレも帰るとするかな」
「マイさん!」
「ンー? なんだいボーイ。サインならお断りだぜぇ」
「ありがとね。たくさんおはなししてくれて」
 たかしくんのお礼にマイさんはちょっとだけ黙って。
 もしかしたら照れてるのかもしれない。
 だって。
「これぐらい当然だろー? ジェントルマンとしてはなぁーハッハッハッ。けど嬉し
いから今日はご馳走だなあ」
 物凄く面白い声が笑ってるもん。
「じゃあ。グッバイだボーイ!」
「マイさんっ」
 慌ててお顔を上げたけど、もう誰もいなくて。
 マイさんの言ってたびゅーてふるな虹と、ちょっとだけお化粧の崩れたお母さん
の顔が階段の柵越しに見えた。
「たかし! ごめんねぇ、遅くなっちゃって!
 寒くなかった?」
「ううん、大丈夫だよっ! あのね、マイさんっていうおじちゃんがおもしろいお話
してくれたんだよ!」
「マイさん? そんな人近所にいたかしら……? まぁ。とりあえずお家入ってご
飯にしよっか」
 たかしくんの頭を優しく撫でて。
 お母さんはお家の鍵を開けたよ。
 お母さんはうっかりさんだから傘と長靴は持ってきてくれても、鍵だけ渡すの忘
れちゃったんだ。
 そんなうっかりなお母さんが大好きだけど。
「そうそう。さっきそこでね、面白いもの見つけたからつれて帰って来たのよ。
 最近じゃあ珍しくなっちゃったからね」
「なになにー?」
 ただいまー。って二人で声を揃えてお家に入る。
 しばらくしたらヤキソバのいい匂いがするんだ。
 お母さんの手作りのヤキソバは給食よりもずっと美味しいんだ。
 たくさん頬張って、たくさん牛乳を飲んで。
 満足したらお昼寝の時間――のはずなんだけど。


「たかし、ほら」
 去年はカブトムシの入ってた虫かごに入ってるのは。
「……なめくじ?」
「カタツムリっていうの。ほら、ちょっとかわいいでしょ?
 たかしは知らないかな? デンデンムシとかマイマイとか」
 マイマイ?
 たかしくんの目がキラキラ輝くよ。
「マイさん!!」
「え?」
「もしかしてマイさん?」
 お母さんはちょっとビックリしてたけど、たかしくんがあまりにも嬉しそうな顔をし
ているから。たかしくんとちょっとだけ似てる顔で笑ったよ。
 虫かごの中でキャベツを食べてるカタツムリはちょっとだけ動きを止めて、


「ヘイボーイ。今日のブランチはサイコーだぜ」


 やっばり外人さんみたいに言ったんだ。