差出人:ツバサ
 返信先:ケイ
 件名:今日はいい日
 ケイさん
 今日はいい日でした。Gluckの限定版ポスター落とせましたし、なによりも昨日に言っ
た学校の男子とGluckについてたくさん語り合ったんです。
 やっぱりいいですよね。こういうの!
 なので今日は物凄く機嫌がいいです!

 ツバサ


 がっくりうな垂れて。
 顔も知らないメール友達が現実の友人と親しくしている――たったそれだけのことな
のに、心の中にどんよりと暗雲が広がる。ケイとて、メール友達と現実の友達であれば、
現実の友人を優先するだろう。
 しかし――だがしかし。
「はぁー……なにこれ、なにこれ。恋の病?」
 部屋の中は、城島から勧められた新曲の隠しトラックである、光が流れている。アップ
テンポな曲調は、Gluckらしくないといえばらしくないが、そんなものを関係ないと思わせる
くらいに素敵な曲だった。
 今度のライヴでは、これを歌うとか歌わないとか――
「とりあえず……返信しよう……はぁぁぁ」
 大きな溜め息一つ。ネット相手で本当に異性かも分からないのに恋心を抱いてどうする
のだと。男だったら恋心が冷めるのか、それとも続行するのか。
 まとまらない思考が脳内を廻り廻って、答えらしい答えを出せないまま感情のない文字
を綴っていく。きっと、このメールに込められた感情を、ケイの心境を、ツバサが理解するこ
とはないのだろう。
 先ほど届いたメールに綴られた文字。
 そこに込められている感情だって、ツバサの心の全てが分かるわけではないのだから。
ただ、文面と内容だけで判断して現実の友人に嫉妬しているだけなのだ。
「ああああー……送信」
 見直しができてない。
 もしかしたら誤字があるかもしれない。けれど――送られてしまったものは、どれだけモ
ニタに手を伸ばしても戻ってくることはありえないのだ。
 ケイは、うな垂れたままリピートして聞いている光の歌詞を口ずさんだ。
「君が笑って花が咲ーいたー僕の心を優しくつーつーむー」
 きっと友人たちに、このモヤモヤした心境を話せば言われるのだろう。
――出会い系?――
――電話聞いて話せば一発だろ。つか写メおくってもらえよ――
――純愛ぶってねーでやることやればいいだろ? どーせネットなんだから――
「……いや、確かにどーせネットだよ。電源切ったら二度と交流なくなるわけだし。
 ツバサさんだって……実は彼氏もちかもだろ? 実は彼女もちかもだし。確かにネットだ
よ……顔も知らない、声も知らない、住所も知らなければ、本名も知らない。知らないこと
だらけだよ」
 ブツブツと独り言を呟いていると、パソコンから軽やかな電子音が流れる。
 送られてきたツバサからの返信。それをクリックして開いたケイは双眸を見開いて、思
わず椅子から転げ落ちそうになった。
「ええ……! そ、その見知らぬ男子とライヴに……?」
 一緒に行く予定だった人が急用で行けなくなったらしい。チケットがあまったので、どう
せだからその男子を誘うのだという――これは、いわゆる。
「デート……!?」
 ケイのテンションがみるみるうちに下がっていく。顔も知らない男子を羨ましいと思うや
ら妬ましいやら。どうしようもない感情を持て余すように机の周りをぐるぐる回っていたケ
イは、思わずケータイを握り締めていた。
「……城島。女子の心を伝授してくれ……!」
 カチカチとメールを打って。返事がきますように、なるべく早く返事がきますようにと祈る。
「城島ー!!」
 祈りが届いたのだろうか。手の中で震えるケータイは、城島からの返信メールを届けて
くれた。普段からは考えられないような必死な形相でケータイを開けば、そこに書かれた
返信に目を丸くする。
「……城島……!」
 白い画面に黒い文字。
 たった一行の簡素な返事。
――行くなって言えばいいよ――
「言えないから俺は困ってるんだよ……城島ぁぁぁ」
 Gluckの曲が鳴り響いてる中でうな垂れる。
 アップテンポで明るいはずの曲でも、今のケイにとっては葬送曲のようなものであった。
「……よし。もう、あれだ。がんばれ俺」
 椅子に腰を下ろして、指先でキーボードを叩く。
 カタカタと小気味いい音が聞こえるのと同時に、モニタの中で文字が生まれていく。言葉
が構築されて、感情を伝えるべく紡ぎ上げられていく。
「ダメだったらダメだったで、男だったら……友達? 親友で、とにかく伝えるぞ!」
 普段のメールよりも、若干堅苦しい文章。
 最大限に気持ちを込めて。
 伝わるようにと願って、メールを送る。
「えーと……顔も知らないようなやつに言われても気持ち悪いだけかもしれませんが……
俺は、ツバサさんが好きです……と……」

 信じられないかもしれないけど、俺は本気です。
 だから、一緒にライヴに行く相手を俺にしてくれませんか?
 変なことを言ってるのかもしれません。
 けれど俺が本気だということを信じてください。
 俺は、ツバサさんが好きです。

「……送信」
 受験の時よりもよっぽど緊張した。
 送信されて、ツバサの目に触れて。
 そのまま返事が来なくなれば、いっそ楽になるのかもしれない。
 ネットで出会った見知らぬ人に本気で恋をしたバカと思える。そのまま、諦めだって――
「いやいや、ショックだよ。どんな形でもいいから返事は欲しいって!」
 自分の脳裏に浮かび上がった言葉に自己ツッコミを入れて、ケイはパソコンのモニタを
凝視した。スクリーンセーバーに設定しておいた、良く分からないイルカが壁紙の模様をぬっ
て泳いでいる――普段は癒されるのに。今日に限っては癒される気配がしない。
「……はぁぁー……」
 巨大な溜め息。
 重くなる頭。
 思考の全てが後ろ向きになってしまう。
「……よし、こういうときは……」
 ケータイを手にとってメールを打ち始める。
「城島とGluck語ってやる……」
 ケータイとは違う電子音。慌ててケータイを投げ捨てると、ケイはマウスを引っ掴んだ。
「……!!!!!」
 言葉が見つからないのか、双眸を見開いて口をパクパクとさせたままパソコンのモニタと、
カレンダーを交互に見ていた。開かれたメールの本文には、短く一言。
「い、いいですよ? いいですよ、ってあるよな? あるよ。うん、あるある」
 どうやら、ライヴの同行を承諾してくれたらしい。
 告白についての答えはなかった――というよりも、一行しか返事が書かれていなかったの
だ。しかしケイは、断られなかったという喜びから、パソコンの前でガッツポーズを取って叫ん
でいた。
「よっしゃあ!! よーし……待ち合わせだとかそういのもしないとなっ」
 返事を打ち込もうとしたケイの視界に新着メールが入る。
「ツバサさんから?」
 疑問に思いつつもメールを開けると、短く言葉が添えてあった。
「ライヴに行く前に一度、きちんと話し合いましょう」
 件名にある日にちは、恐らく会える日なのだろう。少しばかり態度が誰かと似ているような気
もしなくはないが――浮かれきっているケイの頭には、その誰かの姿が浮かぶことなどなく、と
ても機嫌よさそうにキーボードを軽やかに叩いた。
「緊張するけど幸せだなー! 明日学校帰りに会えるなんて! 俺、ちょっとヤバいなー幸せ
すぎて」
 おやすみなさい、という言葉でしめられた最後のメールには、姿の特徴なんかは内緒のまま
でお願いします。すぐに見つけ出しますから――と書かれており疑問をもたないわけではない
が、今から返事を出したとしてもすぐにはその答えをもらえないだろう。
 ケイは布団に潜り込み少しだけ眉を寄せ、
「……ほんとに分かるのか……? 俺のこと……」
 小さく呟くと、そのまま電気を消した。




 待ち合わせ場所は、ありがちな駅前。
 どうやらわりと近い場所に住んでいるらしい。しかし、いくらラッシュ時以外は人の少ない駅と
はいえど、それなりに人もいる。しかも今は下校ラッシュの時刻で同じ制服を着た人間がウヨウ
ヨといた。
 こんな中で本当に見つけられるのだろうか――?
「……ん?」
 ケータイが震えている。誰からかと見てみれば、
「城島?」
 ケータイを開いてメールを読む。
「…………は?」
 思わず間抜けな声を上げていると、背後から声をかけられた。
「ケイさん」
「だわっ!!?」
 ケイ――ハンドルネームで呼ぶということは、ツバサなのだろう。彼女以外にこのハンドルネー
ムを知ってる人もいなければ、いくら名前が慶介だからといってケイなどというあだ名をつけて、
親しく呼んでくれる女子の友達だっていない。
 慶介は、ケータイを取り落とさないように抱え込みながら、恐る恐る振り返って――
「なっ――――――!!!」
 思わず言葉を失うのだった。


 From:城島ことり
 [件名]驚いた?
 ことり=小鳥=翼=ツバサ、ってこと。
 それでもいいなら私も喜んで。
 実は前々から気になってたとか、そんな感じ。
 Gluckのライヴ、二人で行けるといいね。