絶望? 誰が? 知らな〜い。ってか……キョーミないってヤツ?
 あはははっ! とりあえず煩い口から塞いじゃえばいいよねぇ〜?


 大鎌が風を斬る。
 断末魔の絶叫を上げるよりも前に絶命した肉隗は、赤黒い血糊を撒き
散らせながら海へと落ちていく。断崖絶壁、色は紅――漂う死臭に酔っ
ているかのごとく、その少女は酷く妖艶に笑う。
 死者の血を唇に塗ったかのような真紅の唇は、闇夜を飾る血の月。
 細い腕に抱かれる死者は、その皮膚を土気色に染めて歓喜に咽び泣く。
 絶望と恐怖の饗宴に声を失い、力を失い佇む人間たちは、故郷で待つ
女のことを考える間も与えられずに死んでいく。まるで消耗していく道具の
ようだ。
 巨大な大鎌に切断された自らの断面を見て気でも触れたか? 声には
思えない奇声が響いたかと思えば、それはやがてくぐもった音となり潰される。
「あはははっ」
 楽しそうに笑う少女のブーツが踏み潰す肉隗。
 夜の闇よりもよっぽど暗い眼差しは、歓喜に満ちた笑みを浮かべていた。
 ――それは、狂気と呼んでいいものだったのかもしれない。
「ダメだよ〜? 僕たち魔族にケンカを売るなんてバッカなコトしちゃ〜」
 宙を舞っていた大鎌が少女の手の中へと戻る。それを力強く握ると、あり
えないような力で振り下ろす。
 待機が震え、砕かれた岩が浮かび上がる。
 視線の先には変えきれないほどの人間。
「あはは……はははっ! いいねいいね! たっくさんの魂喰らってニヴル
ヘイムも大喜びだ」
 真紅の血液が滴る大鎌を、鋭利な刃がついた柄を岩へと突き刺す。キィ
ン――と鳴いたのは、金属の悲鳴か、はたまた那由多の命を喰らう悪魔の
歓喜だったか。
「ねぇ! キミもそう思うだろ?」
 黒い髪をなびかせて振り返れば、そこには返り血を浴びて呆然と立ち尽く
している男が一人――黒に近い灰色の髪は血で固まり、整い過ぎた端整な
顔からは表情が抜け落ちていた。
 静かに呼吸をするその音がなければ、人形にも思えたかもしれない。
 それを振り返る少女は、満面の笑みを浮かべて告げるのだ。
「これだけいれば、ヒンメルだってすぐに黄泉返るよっ」
 ヒンメル――その響きに男の顔に表情が戻る。きつく結ばれていた唇から
小さな声が漏れ、それはやがて短い言葉を構築する。
「……ヘルヘイムの……門を」
「いくらでも開くよ、イトシイアッシュのためならね」
 大鎌へと触れる。
 漆黒の双眸を見開いて呪われた言の葉を謳えば、そこから生まれ出るの
は忌むべき光。神がおわす天を穿つ漆黒の光は、少女の白い手を黒く汚染
しながらその姿を変えていく。
 ただの光を槍と思えば、それは命を貫くグングニルとなり――ただの光を
剣と思うならば、すべてを切り裂くティルフィングとなる。
 すべては思うが侭。
 願う術者である少女は、まるで蟻のような大群の人間たちを見下ろして笑った。
「これは――光でもなんでもない、ただの人を殺す雨っ! 針の雨!」
 舞い上がる光。
 それは、天空で姿を変える。少女が望むままに、思うままに。
 細い針へと姿を変えて、青銅の鎧を貫く光の雨となる。
「あっははははっ!!!」
 砂浜を赤く染め上げ、波打ち際で跳ねるのは海水ではなく血、血、血!
 魂喰らう大陸に満ちるのは血の海。
 死した肉体から離れるようとする魂を奪うべく、少女は大鎌を片手に崖か
ら飛び降りる。冷たい風に血の匂いが混ざって、酷く気分がいい。
 宴の準備をすすめているようだと笑いながら、少女は両の腕を広げた。
「ヘルヘイムへようこそ、メンシュたち!」
 死肉を踏みつけ、亡骸で築かれた柔らかくも生温い山へと降り立てば、ま
だ息のある人間に畏怖の目を向けられる。
 逃げ出してしまいたいのだろう。
 今にも死にそうな眼には涙が浮かび、機能しない両足を懸命に殴っている。
 そんなことをしたとて動くはずもないのに。
 おかしくおかしくて涙が出る。
「やぁー愚かなメンシュ。キミたちのおかげで僕たちの麗しいヒンメルが復活す
るよ? 見てく?」
 恐怖で声すらもでないか。
 涙を浮かべた眼差しで見上げて、パクパクと金魚のように喘ぐ様は、他の例
えるのがバカらしいまでに滑稽だ。
 少女は大きな目を細めて笑う。
「あぁ? 大丈夫だよ、代金はキミの命で良いから。痛くしないから安心してね、
あははっ」
 振り上げられる大鎌。
 その懐へと入ってしまえば反撃ができる――そう、懐に入れれば。
「ん、あれあれ?」
 何かに気付いたような声をあげながらも、大鎌を振り下ろす。血飛沫が雨とな
り少女を赤く染め上げる。頬を伝う真紅の血糊を指でぬぐって、笑んだままの瞳
を自らの胸部へと向ける。
「よくないとおもうなぁ僕」
 胸から生えた銀色の剣。
 赤くギラギラと輝くその姿は素直に美しいと思える。
 しかしそれを愛でるのは、今でなくてもいい。もっと、より良い時間が存在する
のだから。少女は、その剣の切っ先へと指を滑らせて目線を持ち主へと向けた。
「嫁入り前の女の子の胸に変なもの刺さないでくれる? てか、もっと突きたい? 
激しく、叫んじゃうくらいに」
 剣が引き抜かれるよりも前に、大きな手が少女の髪を掴む。痛みを感じていな
いのか、その顔には薄っすらと笑みが浮かべられたまま、まるで遊んでいる子供
のような表情をしていた。
「ねぇ〜どうなんだーい? 僕をどうしたいんだーい? ヒューゲルぅー」
 名を呼ぶ声に男は酷く歪んだ笑みを浮かべた。
「そうだな。オレはお前をグッチャグッチャにしてぇな」
「へぇ〜? 奇遇だねぇ、僕もグチャグチャになりたいところだったんだ」
 子供のような微笑。
 胸を貫いていた剣が引き抜かれ、少女の体から血が噴出した。
「じゃあオレに任せろよ。声も出ないくらいにしてやるぜ」
「あはは。やってみてよ」
 余裕に満ちた笑顔。
 その顔を亡骸へと叩き付け、大鎌を握る手を踏みつける。山の上を滑り落ちる
金属が視界から消えると同時に、剣を振り下ろす。
 濡れた音。
 軽い血飛沫。
 背中から思い切り突き刺す。
 それでも少女の唇から漏れるのは悲鳴ではない。
「征服欲の強い男だねー? 背中からなんてぇ」
「オレは紳士的だぜ? それはお前がよく知ってることだろ?」
「あははぁ〜それもそうかもね」
 赤い糸を引く剣を引き抜いて、細い体を足でひっくり返す。天を仰ぐ幼い顔に浮
かんでいる微笑と、場違いなまでの妖艶な微笑。双方が交じり合う様子は、何度
見ようとも背筋がゾクリとする。
 ヒューゲルは大の字になったまま動かない少女の腹部を何度も何度も、繰り返
して刺し貫いた。突き刺すたびに飛び出る血に、下の亡骸と共に串刺しになるそ
の姿に悦楽を覚えながら。
「いつでも笑ってるな、お前はぁ――」
「だって笑わないとつまんないだろ? 世界はこんなに絶望に満ちてるんだから」
「その絶望の種子が何言ってんだかな」
 少女の腹の上へと腰を下ろして、その細い首へと腕を伸ばす。
「種子じゃないよ、僕は」
「花咲く前に死なないと、老いさらばえて醜くなるだけだぜ? 絶望に抱かれて眠っ
たほうがお前の美しさも永遠になっていいと思うぜ、オレは」
「あははっ、なにそれ口説き文句? バカだろー? あははははっ」
 笑う少女の首へと手をかけて。
「あぁ。バカで構わねぇぜ? どうせここにはオレとお前の二人きりなんだ、お前だ
けに笑われんなら幸福の極みってやつだ」
「なーにー? また結界? 好きだねぇ、結界。僕も好きだけど」
 手を伸ばして、頬に触れる。
 体を起こそうと腹に力を入れれば、殆ど服ではなく布キレになった黒い布を夥し
い量の血液が濡らしていく。そのような状態でも苦痛を感じないのだろう。
 顔には浮かんでいるのは楽しそうな笑み。
 笑っている少女は、口付けをねだる娘のように目を閉じるのだ。
「せっかく二人きりなんだからさぁー? すっごいコトになるよ」
「そりゃ……楽しみだな」
「うん。キミにも見せたことがないくらいのすっごいコト……ああ、ほらほら。きたき
た、この感じ」
 首を掴む腕に力が込められる。鈍い音、骨が砕け、そして肉が裂ける音がして
いるというのに少女の顔には笑みが浮かんでいる。
 口の端から血が滴り、閉じたままの瞼が軽く歪んだ。
 今瞼を持ち上げれば――美しい漆黒の眼球が転がり落ちてしまうのかもしれない。
「あー……」
 鎧を砕いたのは大鎌。しかしその中身を抱くのは生暖かい腕。
「ここまでやっても死なねぇのか、お前は」
 指が肉にめり込んでいても、血飛沫をあげてその勢いで傷口が広がっていても、
少女の顔には笑みが浮かんでいる。ゆっくりと持ち上げられる瞼。
 そこに隠されていた眼球が――右の眼球がだらりとぶら下がって、涙のように血
と体液を流していた。
「あぁ、満足だなーこのグッチャグチャ感。サイコー……ふふ、これはお礼だよ。同
じ気持ちを味わってね、愉快なプッペ」
 人間――否、少女の力では到底ありえないような腕力、しかしそれでも納得する
しかないのだろう。目の前にいる少女とはそういう存在だと。
 絶望の種子と呼ばれ、魔女と呼ばれ、同族から忌み嫌われて生活していたとい
うのに――全ての存在に当てはめることが出はない孤独な存在。
 この世界でただ一人しか存在しない絶望は、自らに絶望することなく笑んだまま。
 恐怖することもなく、ただ遊びのように何かを壊している。
「で、お前は何がしたいんだ?」
 嫌な音が響いて、苦痛に顔が歪む。
 その顔を楽しそうに眺めている左目と、ぶら下がったままの右目。
 唇に浮かんでいるのは三日月。
「何がしたいってーやだなぁ、僕はねぇ――――」
 突如訪れる静寂。
 遠ざかる意識で男は知るのだろう。
 折れる骨がなくなり、迎えるのは無音の死だということを。
 今際の際に聞こえた声と言葉の意味を理解したとて、理解者がこうして絶命して
は意味がない。
 生涯救われることのない娘を哀れんで――同時に酷く滑稽に思えた。
 どこまでも楽しそうな笑みを浮かべながら告げた言葉が、


「死にたいだけなんだよね。キミたちと同じようにさぁ」


 だなんて、滑稽と呼ばずに何で呼べばいい?
 不老不死なんて人間が望む最高の条件だというのに。


 

 絶望? するわけないじゃーん。
 ヒト殺す理由? そんな欲しいの? 理由なんてさぁ〜?
 ――死ぬことへの羨望だよ、人間も魔族もずるいなぁ、死ねるなんて。あはははっ。