赤い花が咲き乱れる。

 ぽつんと設置された白いテーブルと二つのイス。用意されたティーポットからは、

ふわりと心地良い香りが漂い周囲の薄ら寒い光景を忘れさせてくれる――わけで

はなかった。

「本気でここ、どこだ」

 がばっと勢いつけて上半身を起こした少女が呟く。やや釣り目気味で、あまり光

の入らない漆黒の双眸は懸命に周囲を見回したが、彼女の脳内ライブラリには存

在しない場所らしく首を傾げて腕を組んでいる。

 風もないのに赤い花々が揺れて、余計に気味が悪い。

 それどころか視界の端に先ほどからチラチラと目に入る――青白いものが気に

なって仕方がないのだろう。

 少女は、横目でその正体不明の青白いものを見やった。

「……いや、まさかな」

 夏場になると決まってそういう話をしたがるヤツが沸くことはある。

 しかし、それが実在するかどうかなんて気にしていなかった少女にとって、視界の

端で揺れている青白いものは恐怖――否。恐ろしくはないが不気味なものに違いは

なかった。

「人魂……ってヤツか?」

 ゆっくりと立ち上がり、足元の赤い花をできる限り踏みつけないように歩く。

 一歩、また一歩と歩くと青白いものはこちらの存在に気がついたのか、ふわりと宙

を舞った。ずいぶんと芸達者ととるべきか驚くべきなのか判断はできないが、やはり

恐怖は感じなかった。

 それどころか未知の存在に対する好奇心のようなものが疼いてくる。

「……す、少しくらいなら……」

 そろそろと人魂――らしきものに手を伸ばした刹那。

「ダメだよ〜♪ セクハラになっちゃうからね」

 ずいぶんと明るい声が頭上から聞こえた。

「――っ」

 人魂から手を放し、咄嗟に口の中で言の葉を紡ぎ上げる。

 それは足元の赤い花々を揺らし――

「真なる子供は目に見えず。

 肌で知れ幼き子らの慟哭を――!!」

 凛とした声が響き渡った。

「……え?」

 声だけが虚しく響き渡り、何も怒らないことに驚いている少女は、目の前で重力を

無視して浮いている、仮面の少女――すその短い純白の着物から伸びる足を見る

に少女だろう――を凝視した。

「ビックリしてるぅ?

 当然だよねぇ〜ここは僕の領域ってか、魔法なんてない世界だしねぇ」

 驚くほどな冷たい手が頬に当てられる。

 しかし、黒髪の少女はそれを振り払い、

「ここはどこだ、答えろ……」

 声を低く落として問うた。純白の仮面の向こうではどのような表情が浮かんでいる

のだろう――ただ、無機質な笑みがこちらを向いている。

「黄泉比良坂……ってわっかるかなぁ〜?」

「ヨモツ……ヒラサカ?」

「うん。地獄までの通り道ってヤツ♪」

 右手の人差し指をピンとたてて仮面の少女が笑う。

「……ちょっと待て。なんが僕がそんなところに――」

「七瀬夕莉ちゃんはぁ〜♪ オメデトッ! 地獄行き決定だよん」

「何で名前、いやそれ以前に地獄もなんも――!!!」

 黒い髪の少女――七瀬夕莉――は、仮面の少女の胸倉を乱暴に掴んだ。身長

差があまりなく、それどころか雰囲気からして年の差もないのだろう。しかし、友人

にはなれそうにもないと思った。

 出会って間もない人間に地獄行きを祝福されて喜ぶ人間がどこにいるか。

「あ、ちなみに! 僕はジョーカーね。少しの間だけどヨロシクねぇ〜夕莉ちゃん♪」

 ジョーカーと名乗ったその少女は、立てたままの指先で夕莉の頬を突付いて笑っ

ていた。もっとも装着した純白の仮面を剥がさない限り、彼女が本当に笑っている

のは謎のままだが――混乱している夕莉は、そこまで気が回らなかったのだろう。

 無機質な笑みを浮かべている仮面を、苛立った表情で睨みながらジョーカーから

手を離す。

 揺れている赤い花々がひどく煩わしく思えた。

「死んだ覚えはないけどな」

「似たようなもんでしょ〜? だって、キミってば不完全魂ちゃんだしぃ♪」

「はぁ?」

 いちいち腹の立つ喋り方をする――半ば睨むように目をやったからといって、無

機質な仮面が表情を変えるはずもない。ただ笑いながら空を飛んでいるジョーカー

を睨む黒い眼差しは、やがて静かに黄昏色をした空へと向けられた。

 酷く懐かしい気分になる色を仰いでいると、不思議と胸が痛くなる。

「ん〜♪ キミはアレだね?

 んん〜とっと。デンメルングゾルタート? 通じるっかな〜♪」

「黄昏の兵士……ね。ずいぶん詩的だな」

 冷めた目で告げる夕莉。

 そんな冷たい眼差しをものともせずに、ジョーカーはふわふわと自由に宙を舞って

遊んでいた。柔らかな風が花を撫ぜ、夕莉を撫ぜていく――その風の中で無機質な

笑みを浮かべている彼女は、近寄ってきた人魂らしきものを指差した。

「上司がそ〜いう神様だからねぇ♪ 染まったってヤツ〜?」

「神様が上司……」

「呆れてるようだけど、キミの上司は魔王様でっしょ? 五十歩百歩ってヤツヤツ♪」

 意外なところを指摘され、思わず言葉に詰まる。

 しかし――夕莉は息を呑んだ。

「お前、どこまで知ってんだ…………?」

 ピタ――と、ジョーカーが動きを止める。

 純白の仮面を両手で挟み込むように触れながら、ゆっくりと下降して夕莉へと近づく。

「デンメルングゾルタート――キミは、死神の大鎌を振り回すトリックスター。

 黄泉比良坂へヨウコソ、そしてお還りよ。在るべき世界と時間へ」

 それは、滑らかな発音で。

 聞きなれている言葉のはずなのにどこか異質なものに感じられて、例えようのない

不思議な感情が頭を支配する。

「僕はジョーカー、神々の切り札。九つの世界を渡って物語の主人公で遊ぶ道化師。

 知らないことといえば、生きたその先にある未来だけ」

「神々の切り札……?」

「難しい言葉は抜きにして。

 時間切れってヤツだよ。キミはまだまだ若いからねぇ? 僕の世界に来るには弱す

ぎるし、脆すぎる。

 というわけで〜さっさと還るといいよ。うん、あの世界の名前は知ってるデショ?」

 腕を掴まれて持ち上げられる。

 どうもおかしなヤツだと――振り回されっぱなしだと夕莉が不満に思うよりも前に、

視界が激しく揺れ動く。

「さっ! お名前言って! 元の世界に還りなヨ♪ 今度は僕が行くからサ」

「ちょ、おい!! お前は人の話だとかそうい――――」

 空気が震えて、夕莉の姿が掻き消える。

 赤い花々の中で笑っているジョーカーは、最後に一言呟いた。

 

「ゴーイングマイウェイ。

 神様の部下なんてジコチューじゃなきゃやってらんないよってね♪」

 

「……ジョーカー……」

「あぁ、キミかい? 久しぶり〜ん♪ どう、チョーシは?」

 ジョーカーの視界に土気色をした肌の少女か映り込む。左右色の違うオッドアイは、

死人のそれを思わせる。しかし動いている少女は、感情も抑揚もない声で答えた。

「何も…………零の……まま」

「楽しそうだねぇそっちも〜♪」

 

 

 

「…………」

 私室で目が覚めた夕莉は、何か言いたそうな顔で枕を投げ捨てた。

 それを見ていたクラリスが不思議そうに首をかしげる。

「あら、ナナセ様。赤い花びらが御髪に……」

 

 

 ちょっと不思議な話。

 九つ世界の中心にある黄泉比良坂。

 そこにいる仮面の少女は、いつだって遊び相手を探してるのかもって話。

 たわいもない雑談さ。