去年は三個だった!!
何の数かって?
チョコレートだよ!! もちろん!
母さんと、兄貴の彼女と、幼馴染のお前から。
何が言いたいわけだ、お前は!
あぁそうだよ!
ぜぇぇぇんぶ義理だよ!!
何コーヒー噴いて笑ってんだ! 俺は真剣なんだぞ!
いいか、次コーヒー噴いたら…………
ちょ、こっち向いて噴くな!! ばかっ!
真剣な眼差しで彼は――幾島 大貴は握りこぶしを天井へと掲げた。
昼休み真っ只中だというのに、教室には人が少ない。
それもそうだろう、たいていの人間は学食へと走ってしまう。
教室でのんびり母親特製弁当を広げるのはこの二人くらいだ。
まばらにいるといえばいるが、それらは二人と何ら縁のない――いわ
ゆる他人。
柔らかく言えばクラスメイトであり、二人の会話には何の興味も示して
いないように思えた。
それはそれで助かるが――と、いつもどおりのコーヒーを飲んでいる
平都 音莉子が噴いたコーヒーの始末をする。彼女の前で騒いでいる
大貴は、去年のチョコレートが義理だけであったと思い込みながらも、
ゼロよりかはいいと喜んでいたのを覚えている。
しかし、今年はなにやら目標があるのだろう。
燃え方が例年の比ではない。
いいか? 俺は決めた。
今年は……今年は聖園さんからチョコレートを貰う!!
な、なんだよその顔は。
生まれつき? いや、それはもういいから。
もしかしてお前アレか? もらえないって思ってるのか?
もしかしたらもらえるかもしれないだろ!
も、もしかしたら……
なんだよ、そんな憐れんだ目で見るなー!
ばかー!
ばかばか言う方がずっとばか?!
子供かー!
俺のほうが子供って……
ばかー!
一人で騒いでいる。
平都はそんな幼馴染を冷めた目で見ながら、自分のコーヒーを口に
含む。
確かに、望月 聖園は物静か――というよりも無口で、特にクラスメイ
トと馴れ合ったりしないタイプだが、友人にチョコレートくらいはおくるだろう。
例の本の件以来、それなりに話すようになった大貴にチョコレートの一つ
や二つ渡すと思うのだが――平都は唇を軽く尖らせ、コーヒーの缶へと口
付けた。
騒がしい、と思うことはあっても、この姿を見るのはそれはそれで好きなのだ。
彼は生涯気付くことはないと思うが。
平都は騒いでいる幼馴染の姿を眺めながら、コーヒーの最後の一口を口
に含んだ。
甘く、苦い――今年のチョコレートはこの味にしよう。
気付かれないような、本命チョコだけど。
いいか? 俺は聖園さんにさりげなーくバレンタインの話題を持ち出す!
そしたらきっと聖園さんは言うんだ!
兄さんにあげるくらいかな? って。
だから俺はそうなんだ? って言いながらさりげなく! ください。って言う!
え、情けない?
え、バカっぽい?
え……だ、だめか?
「うん」
……音莉子のばかー!!
まるで子供が泣きながら去っていくときのような声をあげながら、彼は平都
と向き合ったかたちで机に突っ伏した。クラスメイトは相変わらずこちらの会
話には興味を示していない。
そのほうが好都合であるが――さすがにこの流れは恥ずかしい。
机に突っ伏してしくしく言っている大貴の頭を軽く叩いて、平都は立ち上がった。
手には弁当箱の入った袋を持って。
「ほら、望月さん帰ってきたから、言ってみれば?」
「え……」
途端に自信なさげに俯く大貴。
こういったへたれなところはかわいいと思うが、男としてはもう一つ足りない。
平都は小さく溜息を吐いて、
「望月さーん! 大貴が話しあるってー!」
声を大きく張り上げた。
その声に本を読みながら戻ってきた聖園が顔をあげた。
確かに綺麗な顔をしている。
――確か、お兄さんも綺麗な顔立ちをしていたような。
「そうなの?」
「うん。ほら、大貴。食後の昼寝は後にしなって!」
バシン、と背中を叩く。
その衝撃に思わず大貴は顔をあげた。
次の瞬間、彼は顔を真っ赤にして――
「聖園さん! バレンタインに予定は!?」
なんだか違うことを口走った。
「特にないけど……あ、そうだ。
うちでチョコレートフォンデュやらない? 毎年やってるの」
「喜んで!!!」
よく分からないが、思わぬ形で成功となったらしい。
平都は頭を掻きながら今年のチョコレートはどうしようかと表情を曇らせた。
毎年手作りなことに気付いていないのだろう。
この、ギネス級の鈍感バカは。
ありがとう。ありがとう音莉子!
お前は俺の親友だ。むしろブラザーと呼ばせてくれ!
え、キモい?
ふ……今はお前の暴言も暖かく受け入れるぜ。
なんせ、今年のバレンタインは聖園さんの家で〜…………
…………家?
どうしよう音莉子、俺殺されちゃうかも!
バカしたような顔すんなよ! マジだよ!
聖園さんの兄さんに殺され…………きゃー!!!
ご本人登場。
「なんだその態度は。
まったく……せっかく今年のバレンタインは我が家で行なうチョコフォンデュ
大会に呼んでやろうと思ったのに」
「え、今……み、望月さんから」
「む。そか、聖園が言いに来たのか」
聖園の兄こと、敦詞は考え込むような仕草のあと、大貴の額を思い切りデコ
ピンした。
「幸せものめ」
ふん、と鼻息荒く教室を出て行った敦詞。
その背中を眺めながら、平都は同類の匂いを感じた。
――あのシスコンがぁぁ。なんて心に思ったかは置いといて。
「音莉子。俺、ちょー幸せ」
横顔がキモい。
本気でキモい。
しかし――それにすら嫉妬を感じるのは気のせいではないのだろう。
平都は静かに大貴から離れた。
一人でぼんやりしている彼の姿は――バカそのものだが、それは幸せバカ
なのだろう。
「どうしような、今年のバレンタイン」
小さく呟いて、彼女は弁当箱を額の上に乗せた。
雪が降っていて。
なんとなく、なんとなく。
大貴の家の前で彼の帰宅を待ってみた。
七時になったら帰ろう。
八時になったら帰ろう。
そんなことをを思いながらすでに三時間。
もうすぐ九時になる。
帰ってくる気配のない大貴に胸をいためながら、平都は唇をつぐんだ。
手作りのブラウニーを胸に押し付けて、熱くなりそうな目頭に力を入れる。
今ごろ、幸せそうなんだろう――それでいいじゃないか。
幸せなら――否。その隣に自分がいないことが恨めしい。
ずっとずっと想って来たのだから。
「……はは、何してんだろ」
「何してんだ?」
目が、合った。
潤んでいるのがバレただろうか?
大貴は白いマフラーを巻いて、呆然としていた。
傘は暖色系の色の――数年前に、誕生日プレゼントであげたやつだ。
「何してんだ?」
同じ言葉を繰り返す。
平都は息を思い切り吐いて、
「チョコ、とうだった?」
「極上でしたぁ〜」
幸せそうな顔をしている大貴を見た。
胸に抱いたブラウニー。
自分で食べようと決意して。
「そ。良かったじゃない――」
「お前にはマジで感謝してるって!」
「じゃ、私は帰るね。偶然通りかかったらお腹痛くて立ち止まってただけだしー」
背中を向けて、走る準備をした時だった。
なんでこのバカは、本当にバカなんだろう。
音莉子がおかしい。
いつもならくれるチョコを持って帰ろうとした。
頭とか肩にあんなに雪、積もらせてるのにウソつくし?
思わず肩を掴んでた。
「何よ」
「チョコ、くれないの?」
その一言に、酷く動揺した。
「望月さんの家で食べてきたじゃない」
「音莉子のはまだ食べてないし」
酷く、酷く。
泣きたかった。
嬉しいような、悲しいような、切ない――?
「バカじゃないの?」
「バカって言った方がバカなんだからな!」
声を張り上げて、
「チョコください!!」
「あげないわよ」
「ください!」
このヘタレ、と心の中で毒づいて。
平都は自分の胸に抱いていたブラウニーを差し出す。
ラッピングも、頑張った。
味はもちろん、自信がある。
「へへ、ありがとー」
嬉しそうに笑う。
それは聖園といるときの笑顔とは違ったけれど。
「やっぱ音莉子の手作りチョコ貰わないとバレンタインって感じしないよな」
さりげない一言に、酷く救われた気持ちになって。
平都は俯きかけていた顔をあげた。
「当然でしょ?」
強がってみたけれど、まだ声が震えていて。
少しだけ考えるようにしてから彼は自分のマフラーを外した。
「寒いなら貸してやるけど、ちゃんと返せよ?」
「返すって……これだって、元々私があげたヤツじゃない」
「大事に使ってんだから! 返せよ! つってんのー」
――鈍感バカは世界を壊す。
そんな言葉を脳裏に浮かべながら、平都はブラウニーを美味しそうに頬張
る大貴を見ていた。
心の中で小さく呟く。
――負けないから――
今年のバレンタインはなんだか幸せだった。
聖園さんの家でチョコ食べたし、音莉子のチョコも気合はいってたし。
マフラーも次の日には返してくれたし。
俺って幸せ者?
くへへ。
そういえば、音莉子は好きなやつとかいないのかな?
一度も聞いたことなかったけど。
いつもは俺が相談に乗ってもらってるし。
今度聞いてみるかー。
さぁて、明日は晴れっと。
雪も溶けて春が来るぞぉー。