トリックオアトリート。

 お菓子か悪戯か。

 選べといわれたらどちらを選ぼうか?

 

「トリック・オア・トリート!」

 

 元気な声が聞こえた。

 

 夕暮れ、ここらでは一番大きなデパートでは、季節ごとのイベントに

あわせて外装が変わる。今はかぼちゃとコウモリが飾られているショー

ウインドウ。その中心には食べきれないほどのお菓子が山積みになっ

ており、通り過ぎていく子供たちの視線をかっさらって行く。

 母親に手を引かれ、半ば引き摺られているようになっている子供たち

はもの欲しそうな視線を送りながら、それでも母には勝てないのかうな

垂れて歩き出す。

 その様子を眺めている青年がいた。顔には薄笑みが浮かび、今にも

ショーウインドウの中のお菓子を買い占めて子供たちの目の前で食べ

そうなほどに性格の悪い――そんな笑みを浮かべている青年は、真っ

黒な髪を手で梳いて、空を仰いだ。

「いやあ、もうこんな季節かぁ」

 ジャケットのポケットに手を突っ込んで、ショーウインドウの中を覗く。

 山積みになったお菓子は、それぞれが砂糖菓子なのか人形のような

形をしていた。

「悪戯か、お菓子か……ね。面白いことを言うよね」

 硝子へと額をつける。一重の細い目は何を考えているのか分からな

いような顔を――それでも、性格は決してよくないという事実だけは分

かるような顔をしながら、ショーウインドウの中にある人形の一つへと

視線を止めた。

「今日はハロウイン。どんなお祭りになるのかな」

 女の子が一人と、男の子が二人。森を象ったケーキの上で並んでいる。

 

「トリック・オア・トリート」

 やけに無機質な声が聞こえた。青年が視線を下げれば、カボチャを

かぶった女の子が立っている。その奥の瞳は左右の色が違い、さらに

表情もなく、あまり愛想がいいとはいえなかった。

「トリック・オア・トリート」

 繰り返し、少女が告げる。真っ白な服とカボチャの頭は滑稽に見えて、

この服装を考え出した少女の保護者を指差して笑いたい気分だった。青

年は口元に笑みを浮かべて、それでも噴出したりはせずにポケットへと手

を入れる。

「これでいいかな? お嬢ちゃんに悪戯されたら大変そうだ」

 小さな手の上にキャンディーを落とす。

 それを握り締めると、少女はカボチャの被り物の奥で揺れているオッドア

イで青年を見上げ、軽く頭を下げた。振り返り、後方で待っていたと思われ

る二人の青年へと手を振る――

「カイン、アベル。お菓子、もらった」

 なぜか単語で話す少女の手を取ると、三人で並んで歩き出す。年の離れ

た兄と妹であろうか――? 青年が首をかしげると、その耳に再び声が聞

こえた。

「トリック・オア・トリート!」

 元気な声だった。あまりにも元気な声に近くを歩いていた高校生の男女

が顔を向ける。

「ハロウィンのようね」

 メガネをした知的な美少女――と言えばいいのか、分かる人には分かる

渋い魅力の少女は、隣を歩く少年へと話題を投げかける。投げかけられた

言葉に少年は紙袋を抱えなおしながら、

「本当だ。そういえば……聖園さん、ハロウィンの発祥って――」

「元々は――」

 二人の会話が遠ざかって行く。恋人同士、と呼ぶには少々――否、とても

色気のない会話だが、そういう形もあるのかもしれない。そんなことを思って

いると、再び元気な声が聞こえた。

「トリック・オア・トリート!」

「はいはい……おや」

 白いシーツをかぶった――声の調子からして女の子だろう。少女は両手を

振り上げて、ピョンピョンと可愛らしく跳ねていた。

 青年はクスリと笑みを浮かべ、少女の頭へと手を伸ばす。

「これはこれは、ずいぶんと可愛いゴーストだね」

「だろう? 自慢のゴーストだよ」

 ふいに横から聞こえた声に、青年は目を細める。

「ゴーストを率いてるのは……セイレーンのつもりかな?」

「はは。そういうことにしといてくれ」

 女装している――確かに、遠目で見れば美女だが。近くで見ればはっきり

と男だということが分かる。見苦しい、というほどではなかったが、本物の女

性と比べるとやはりムサさがある。

 青年は女装美青年を嘲笑うように笑みを浮かべたまま、二つのチョコレー

トを取り出した。

「お嬢ちゃんの悪戯は面白そうだけど、こっちのお兄さんの悪戯は……タチ

が悪そうだからね。チョコレートでゆるしてよ」

 手渡されたチョコレートに、白いシーツの少女がはしゃいで飛び跳ねる。

「やったー。チョコチョコ! お兄ちゃん、チョコレートもらったぁ!」

 お兄ちゃん、と呼ばれた女装美青年は薄化粧を施した顔に笑みを浮かべ、

「ケチ臭いなんて思わないところが美徳だな。結依は純粋でいいなぁ」

 ちらり、と目線をよこすのは警告のようにも思え、青年は視線をそらして口

笛を吹いた。冷や汗が出る。

「お兄ちゃん、早くかえろー?」

「そうだな。帰ってゲームしようか」

 手を繋いで歩き出す二人組み。嵐に巻き込まれたような気分に陥りながら

も、青年はクスクスと笑い声を漏らしていた。悪くない、と呟いてもう一度笑う。

 その視線の先にある砂糖菓子は賑やかなまでに彩られて、白い仮面の少

女と赤い髪の少年が、花をモチーフにしたスポンジの上にたち、その傍らで

マイクを持った少年らしきものが座り込んでいる。

「この街のハロウィンは面白いなあ」

 空を仰ぐと、近くを通り過ぎていく人々の声が聞こえてくる。

「雅はどんなお菓子が好き?」

「雪と同じのでいいよ。あまりこだわらないし」

「なんだよ。じゃー……ん、雅が食べたい」

「カニバリズムは趣味じゃないな」

「……分かってていってるだろ……」

 笑い声が重なる。仲睦まじい会話に、ほのぼのとした感情と殺伐とした感

情が背中合わせに頭をもたげるが、青年はうんうん、と頷いて何も考えない

ことにした。

 苛々してても何も始まらない。恨むならば、こんな時期に一人で商店街に

いる自分が悪い。

「トリック・オア・トリート!」

「トリック・オア・トリート」

「トリック・オア・トリート……」

 ふいに三つの声が重なる。

 その声に青年は目を開け、若干視線を下ろす。

 そこにいるのは三人の少年少女。リーダー格なのか、一番前にいる少年

はヴァンパイアのような格好を。次にいる少年は――たぶん、狼だろう着ぐ

るみをかぶって笑っている。

 さらに奥にいる少女は、真っ黒い服を着て。魔女のような格好をしていた。

「これは……ずいぶんと、フランケンが欲しくなるパーティーだね」

 青年の言葉に少年たちは首を傾げたが、すぐにその幼い顔に満面の笑

みを浮かべて、両手を出す。

「トリック・オア・トリート。お菓子ちょーだい」

 ヴァンパイアの格好をした少年に続いて狼の少年が口を開く。

「トリック・オア・トリート。ケチケチしてるとイタズラするよ」

 ちょっと腹立たしい――そんなことを思いながら、最後の少女の言葉を待

つが、少女は何も言わずに一歩引いたところから二人を眺めているだけだった。

「そこの魔女さんはいらないのかな?」

 青年の言葉に少女は、どことなくスネているようにも見える双眸を向けた。

「……とりっく・おあ・とりーと。イタズラされたくなけりゃ菓子よこせ」

 予想外なまでに口の悪い少女に肩を落としながら、青年はポケットを探った。

「……あぁ。これがいかな?」

 呟きながら取り出したのは袋に入った三枚のクッキー。

 それぞれを三人に渡して、

「できる限り三人でいられるといいね。楽しそうだ」

 笑いながら告げると、ヴァンパイアの少年は満面の笑みで返した。

「とうぜんだろ!」

「……うん」

 それに続く少女。二人とは若干違う表情をしていたのが狼の少年だった。

着ぐるみの中で唇を尖らせて笑っている。

「むしろ、おまえの方が楽しいと思うけど。場違いで」

「おい、狼――」

 言葉の意味を追求しようと口を開くと、狼の少年は風のような速さで走って

消えてしまう。それに合わせてヴァンパイアの少年も、魔女の少女も走っていっ

てしまう。再び聞こえるのは道行く人々のざわめきだけ。

 青年はウインドウの中のケーキにやたらと大きなのがあるのに気がつく。

 パーティー用だろうか? たくさんの砂糖菓子でできた人形が、三人の少年少

女の人形を見上げている。けれど、三人の中の眼鏡の少年は今にも落ちてしま

いそうな場所に置かれ、黒い服の少女は顔がない。

 それでいて、さらには蜘蛛を象った砂糖菓子がケーキを狙っている。

 らしい、といえばらしいのだろうが――パーティーで使いたいとは思わない。

「……あぁ。もうこんな時間か」

 いつの間にか、夕暮れが街を染めていて。

 世間ではこれを黄昏時と呼ぶのだと、ある人から教わった。

 青年は少しだけ考えるような素振りを見せると、そのまま顔をあげた。

「ハロウィンなら、驚かしてもいい……ね」

 唇が笑みの形に歪む。

 

 ――闇が、世界に満ちる。

 

 

 部活帰りの少女。その足取りはやけに軽く、その姿を眺めていた青年は楽しそ

うな笑みを浮かべた。

「鏡花」

 短く、名を呼ぶ。その声に反応した少女が立ち止まり、顔をあげる。電柱の影か

ら姿を現した青年は、穏やかな笑みを浮かべ、

「今日が何の日か知ってるか? 今日は……鏡花?」

 どこか、様子がおかしいと鏡花の顔を覗き込む――刹那。

「オルフェウス……トリック・オア・トリート?」

 カラン、と渇いた音がする。

 オルフェウスと呼ばれた青年が双眸を見開いて、声を失う。

「鏡花――!?」

 顔が、外れた。まるで面のように外れ、その下には何もなかった。つるりとした面

が街灯の光を反射してテカテカしている。

「お菓子くれないとイタズラ……うふふふふ」

「…………っ」

 予想だにしない展開に、思わずオルフェウスは息を呑む。

「うふふふふふ……ぷっ」

 ふいに、鏡花が噴き出す。そのまま大きな笑い声を上げ、再び聞こえてくるのは

カラン――という渇いた音。オルフェウスは地面へと目を向ける。僅かな光の中で

もはっきりと見えるのは、けっこう丈夫な素材で作られている仮面が二枚。

 オルフェウスは無言のまま、鏡花へと目を向ける。

「……選択肢の意味がない……」

 ブツブツと呟くオルフェウスを見上げ、鏡花は笑いすぎて滲んだ涙を指先で拭う。

「あははは。ごめんごめん、だってねーうふふ……」

 鏡花が最後まで言い終わるよりも前に、オルフェウスは思い当たる名前があった

のか、眦を吊り上げた。

「アポ……神月 悠、とかいう人間がいるだろう……」

「よく分かったわね。神月くんが面白いものが見れる……ってあはは」

 すべてが繋がった。といわんばかりにオルフェウスは、その整いすぎた顔に明ら

かな怒りを浮かべた。どおりで、時代も何もかも関係なく現れるはずだ、と。

 元々、敵対してはいたが――こんな方法で攻撃されるとは――否、馬鹿にされる

とは思わなかった。オルフェウスは今にも叫びだしそうな勢いで暗い空を仰いだ。

「覚えていろ……!!!」

「あんまり怒らないで。ね、オルフェウスのためにクッキーやいてきたんだから」

 笑っている鏡花の手の中には箱に入ったクッキー。手作りというのが一目でわか

る、不思議な形状にオルフェウスは目を細めたが、すぐに微笑を浮かべた。

「仕方がない……鏡花が言うのなら――」

「トリック・オア・トリート?」

 鏡花は満面の笑みを浮かべている。

 その背後では、街中で出会った数人の子供たちが準備万端、といわんばかりに

本来の姿で待ち伏せていた。オルフェウスは疲れきった声で、弱々しく答えた。

 

「……菓子にしろ……」

 

 ハッピーハロウィン?