桜散り逝き、夏が過ぎ、やがて訪れた秋は独り――

 紅葉した木の葉が舞い散る様を美しく思い、そして独り歩くこの道をさみしく思う。

 

――雅!――

 

 聞こえたのは幻聴か、はたまた願望か。

 薄紅色の衣を纏う女性は、静かに俯いた。

 眼を閉じ、木の葉を散らす木へと背中を預ける。

 

「わたくしは間違っておりませんよ……ずっと、待っていますから」

 

 遠くから聞こえる鬨の声が、ヤケに悲しく聞こえた。

 

 

 

「はい、獅国。伊達政宗が幼い頃にかかった病は?」

「風邪じゃないの?」

 笑い声が聞こえ始める。

 机の上に教科書ではなく、手芸の本を広げた少女――獅国は極めて真剣な顔

つきで、教卓の上に手を置いている歴史教師を見上げた。

「獅国……」

 呆れたように息を吐く。

「廊下に立ってます」

 言われる前に立ち上がり、荷物を持って教室を出て行く。

「ミヤ。ばいばーい」

 友人たちの言葉に手を振って返し、出て行く獅国。授業中の廊下は恐ろしいほ

どに静かだと思った。ボソボソと聞こえる教師たちの声が気味悪く聞こえる。

「……さて、授業終わるまでドコ行くかな」

 伸びをして校庭へと目を向ける。

 もうじき行なわれる体育祭の練習をしている。どこのクラスかは知らないが、全

体的な雰囲気からして同学年だろう。騎馬戦の練習をしているらしく、はだしで校

庭を走り回っている。

「おもしろそー」

「騎馬戦が?」

「うわっ!?」

 突然背後から聞こえた声に、獅国が飛び上がる。

「変な驚き方」

 ペットボトルのおちゃを飲みながら汗を拭いている、体操服の少年――校章の

色からして同学年だろう。彼の反応に獅国は眉間にシワを寄せた。

「いきなり驚かすからでしょ。授業中なのに廊下歩いてないでよ」

「どっちもどっちじゃないの? 俺は鉢巻とりに来ただけだけど……あんたは?」

「サボり」

「あんたの方がダメっぽいな」

 淡々と告げていく少年。獅国は不愉快になればいいのか、怒ればいいのか、判

断がつかなくなってきた。右の眉をヒクつかせながら視線を校庭へと戻す。

「騎馬戦、好きなの?」

 横から聞こえる問いに獅国は、何も言わずに頷いた。

 その反応にお茶を飲み終えた少年は、僅かな笑みを唇に孕んだ。

「じゃ、体育祭で俺に惚れるかもな。騎馬戦って得意だし」

「なんだ、このナルシスト」

「普通、そういうことは口に出さないものだと思うけど」

 まぁいいや。そう付け足して少年は歩き出す。

「獅国さん、楽しみにしててよ」

 一度だけ振り返り、笑う。その笑みは自信に満ちており、よほど今までの人生が

満ち足りたものだったのだということを感じさせた。

 その笑みに獅国は軽く手を振って返す。

「あ、名前……ま。いっか」

 広い学校の中で、偶然出会って、また再会するなんてことは少ないだろう。クラス

が違うのだからなおさらに――獅国は芽生えかけた疑問を胸の奥に押しやり、再び

騎馬戦の練習風景へと目を落とした。

 赤い鉢巻と、白い鉢巻が揺れている。

 崩れた騎馬――落ちる大将。

 怪我をしたのか、人が集まってくる。しかし、たいしたことないと知ると、再び散開する。

 実際の戦国時代に行なわれた戦とは比べ物にならないくらい、ぬるいものだろう。

しかし、現代日本では騎馬戦ですら、激しいものと思われ始めているのは時代の流

れの恐ろしさ――柄にもなく、そんなことを考えていると、視界に先ほどの少年が入った。

 同じグループの仲間と合流し、赤い鉢巻を締めて。

 騎馬にまたがる。その姿は堂々としており、騎馬戦に対する自信が不必要なほど

に感じ取れた。

「確かに……ギャップは凄いかもね」

 自軍の位置へとついて、戦が始まる合図を待つ。

 練習時はホイッスルだが、本番はほら貝が鳴る。妙なところでこだわっている学校

だと、卒業した姉もよく言っていた。獅国は一瞬の静寂に息を呑んだ。

 笛が――鳴る。

 勇ましい声と共に騎馬戦が始まる。

 決して馬を使っているわけではない、人間と人間がぶつかり合って、首を取るので

はなく鉢巻をとる。それだけだというのに、目が離せなくなる。

 さきほどの少年もまた、小柄ながらも奮闘しその手には真っ白な鉢巻が何本が握

られていた。

「大将を狙え!!」

 少年の声が響き渡る。その声に応えるように、何人かが方向を変えて味方に守ら

れている白い鉢巻の大将、と思われる少年を狙いに行く。

 赤の勝利か――それは端から見ていた獅国でも分かった。

 しかし。

「旺虎を倒せ、そいつが大将だ!」

 敵大将の言葉で、白い鉢巻の騎馬たちが方向を変える。それはほんの僅かな時

間だったというのに、戦況を変える大きな一手となった。

「旺虎、逃げろ――っ」

 誰かが叫んだ。

 しかし間に合わず――あの、少年は囲まれ、逃げ道もないまま崩される。頭から

グラウンドに叩きつけられ、その身を丸めていた。

 それを見下ろす騎馬の上の将は、赤い鉢巻を高く掲げ――

「大将、討ち取ったりー!!!」

 戦国時代をほうふつさせる言葉を叫ぶ。

 その様子に獅国は息を呑んだ。倒れている少年が――何かと重なる。

「…………死んでるはずがない。

 ただ、気絶してるだけ、騎馬戦は、本物の戦じゃない……」

 少年の周りに人が集まる。気絶しているということを教師に知らせ、背負う。

「――保健室、だよ。それ以外に何があるっていうんだか」

 一瞬、脳裏に過ぎった光景。

 その光景に胸が痛くなる。何が起きているのか――分からなさ過ぎて、気味が悪

い。獅国は息を吐いて、歩き出した。

 もう、次の授業を受ける気も出ない。

 

 

 

 気付けば保健室の前にいた。

「……ま、見ていくだけ」

 ドアノブをまわして、中に入る。珍しく、教師はいないようだった。

 サボりの生徒も見当たらず、ベッドに誰かが寝ている――ということを教えるかの

ように、白いカーテンがはためいていた。

「なーんか、白い布置いたら死人みたい」

「そういうこと言うなよ……ヒデェなぁ」

 突然両目を開けた少年に驚きながらも、獅国は笑っていた。

「カッコ悪いね。惚れさせるんじゃなかった?」

 獅国の言葉に少年は、痛むのか額へと手を持っていって唇だけで笑った。

「もう惚れてると思うけど? な、獅国、雅さん」

「なんで名前知ってんの?」

 クラスが違えば名前を知る機会なんてないというのに。獅国は不思議そうに首を

かしげた。鞄を床において、パイプイスへと腰掛ける。

「実はけっこう前から惚れてたから。話し掛ける機会をうかがってました、ってこと」

「いつごろ?」

 前後の言葉を無視して、獅国は少年を見下ろした。所々に砂がついており、教師

が帰ってきたら驚きそうだ――そんなことを考えながらも、どこでこの少年と顔を合

わせたのか。

 そういったことばかりに気をとられていた。

「春先。線路傍で木にもたれて寝てたろ? あの時に、一目ぼれ……あれ、俺告っ

てない?」

「あぁ……あの時……え、告白なの?」

 二人の間を冷めた空気が走る。

「う、うっわぁ……俺、カッコ悪。無意識に告ったうえに気付かれてない……うわぁ」

 寝返りをうって、枕に突っ伏す少年の背中を見ながら、獅国は獅国で悶々と考え

込んでいた。向こうからすれば違くとも、こちらからすれば初対面。そして嫌いでは

ないが、恋とかそういう感情はない。しかし、友達とすればいいのかもしれないが―

―そんなことは彼のプライドが。

 そんなことを考えていると、途端に色々と面倒になった。

「日曜日、見たい映画があるんだけど。一緒にこない?」

「え、なに。それは恋人になろうってこと?」

 急に顔を明るくさせる少年に真顔で否定して、

「見極めるから。映画が楽しければ、付き合おう。そうじゃなかったら却下」

「うわ、手厳しい」

 唇を尖らせる少年。しかし、その顔に浮かんでいるのは勝ちを確信した笑みであ

り、獅国は少しだけ構えている自分がバカらしく思った。

「んで、名前は?」

「旺虎。旺虎 雪」

「オウコ、ユキ……分かった。覚えとく、じゃ――日曜日にね」

 鞄を肩にかけて、カーテンを持ち上げる。歩き始めた獅国の背中に声が投げか

けられた。

「雅!」

 

 春の花の下でも、夏の陽の下でも、秋の紅葉の下でも、冬の空の下でも、いつで

も聞こえたのは、わたくしの名を呼ぶ優しい声。

 しばし離れることになっても、わたくしは待っています。

 あなたを、ずっと――――

 

「雅、日曜日楽しみにしてろよな! 絶対、楽しいから」

 脳裏に浮かんだ映像を打ち消すかのような笑顔。

 獅国は少しだけ戸惑ったような笑みを浮かべ、手を振った。

 

 

 

 映画は楽しかった。その後のファーストフードでの夕飯も、途中の喋りも。満たさ

れすぎて恐ろしいほどに楽しかった。満面の得を浮かべていた獅国を見て、旺虎

がさらに笑う。

 もうずっと、一緒に過ごしていたかのように。

 当然のように家の前までついてきた旺虎が、子供のような笑顔で、

「月曜日、線路前のあの木で待ち合わせな」

 告げられた言葉に、獅国は薄く微笑んだ。

「うん。待ってるよ」

 走って帰宅する、旺虎の後ろ姿を眺めながら。獅国は痛む胸を抑えた。

 朝が来て――あの木の下で、会えない気がした。

 

 

 生徒たちが、次々と歩いていく。

 まだ、こない。待ち合わせ時間は過ぎてる。

 ケータイにも、出ない。

 獅国は嫌な予感を振り払おうと、楽しい思い出だけを思い出そうとする。

 しかし、上手くいかず――思考は嫌なほうへと傾いていく。

「……早く、早く来てよ。私は間違ってないよ、待ち合わせ場所も時間も。だから、

早く来てよ。待ってるから、待ってるから来てよ」

 この嫌な予感がどこからくるものかは知らない。けれど、ここで誰かを待っていた

ような気がした。そして、今でも――

「あの、獅国さん……?」

 見知らぬ男性に話し掛けられる。いつの間に停まっていたのか、空色のワゴン車

が近くに停まっている。中には女性、と子供。

「はい……そう、ですけど……」

 良かった、男性はそう呟くと車のドアを開けて誰かを抱き上げた。

「……」

 言葉を失い、もう何も言う気力がなかった。

 制服を血に汚した、旺虎がいる。生きているのか、死んでいるのかも分からない。

「ここに来る前に倒れていたんだ。救急車を呼ぼうとしたら、ずっとここにつれてこいっ

て、人を待たせてるって言うもんだから」

「……雪」

 木に背を預けて、座らせる。男性は救急車を呼びながら、二人に気を遣ったのか席

を外してくれた。生徒たちがざわめきながら通り過ぎていく。

 現実離れした日だと思った。

「雪、ずいぶんと遅い到着だね。待ってたよ、ながいこと」

 春も、夏も、秋も、冬も、独りでこの道を歩いていた。けれど、ずっと傍にいた気すら

してきた人――勘違いでもいいくらいに、惚れ込んでいた人。

「……雪。救急車が来るらしいから、もう少しだけ頑張れ」

 耳障りな呼吸音。

 それでも生きてることが嬉しい。このまま死んでしまうのかもしれないと思っても。

「雪――なぁ」

「……雅……? ごめ……遅刻した」

 掠れた声。

 手が熱い、けれど旺虎は寒いと肌を寄せてきて――

「大丈夫。来てくれたことが、嬉しいんだ……雪……待ってたから……ずっと」

 救急車のサイレンが、遠くで聞こえていた――――

 

 

 紅葉、降り積もる。

 木に背中を預けた女性のヒザに頭を乗せて。目を閉じている青年。女性は囁くよう

に告げる。

「影雪さま、お待ちておりました。会えてうれしゅうございます」

 答えはなく、女性の薄紅色の衣が紅に染まっていく。

「この世は悲しいと嘆かれた、心優しいあなた様と添い遂げることができたのを喜ば

しく思います。ですから影雪さま……どうか、どうか来世でも、雅をお選びください。わ

たくしは、待っています。

 この場所で、あなた様だけを待っています……愛しています、影雪さま」