好きやねん

 

 

 ――もっと喋ってよ。
 彼がそう言ってあたしの言葉をねだってたんは、もう遠い昔のこと。
 ――俺、涼(りょう)の声の言葉、好きなんだ。
 そう優しく微笑む彼から、あたしは、離れた。
 理由は、彼といてもあたしが笑わへんくなったから。
 なんていうか、素直に嬉しいとか、出すのがまだ怖かってん。
 今思えば、アホらしい。
 ちゃんと出しておけばよかった、なんて、何回後悔したやろう。
 ――俺といて、楽しい?
 別れたあの日、彼はそう切り出してきた。
 なんで、と聞くあたしに彼は正直に答えてくれた。
 ――最近、笑わなくなったから、かな。
 寂しそうに笑った彼。
 ちゃう! そんな顔、させたかったんとちゃうねん!
 心の中でそう叫んでも、話は淡々と進んでいった。
 彼は関東、あたしは関西。
 別れてしまえば、もう、すれ違うこともでけへん。
 そんなこと、ちょっと考えればわかる話やのに、信じられへんかった。
 それからは、すれ違う人々に彼の面影を重ねて、慌てて振り返ってしまう日々。
 こんなとこにおる訳あらへんのに――。
 そして、こんなにもあたしの心に入り込んでたという事実。
 ホンマ、信じられへんわ。
 彼を忘れる意味で消したのに、今表示されているその番号はしっかりと見覚えがあった。
 最後にその番号から掛かってきたんは、一体何年前のことやろう。
「も、もしかしたら、違う人かもしれへんやん?」
 自分に言い聞かすように、鳴り響く携帯を手に取った。
「も、もしもし……?」
『あ、あれ? 涼に掛かった?』
 彼の戸惑う声が電話口から響いてくる。
「う、うん……」
 久しぶりに聴こえる成治(せいじ)の声は別れたあの日から変わりなくて、あたしの心を切なくさせる。
『ごめん、間違えて掛けたっぽい』
「あ、そうなんや……」
 あたしの方から別れを切り出したようなもんやから、その後のことなんて、聞くのが恐い。
 あたしがそんなんやから、あたし達の間に沈黙が降ってくる。
『涼の声、久しぶりに聴いたな……』
 ほう、とまるでため息をつく様な成治の声。
 その声があまりにも疲れてた声やったから、思わず言葉が続いた。
「どしたん? 最近、忙しいん?」
 それは、彼女面するな、と一喝されてもおかしくない声色やったと思う。
『そうだなぁ。癒されることが、なくなったから、な』
「癒されることがなくなった、って?」
 心がざわざわと騒ぎ出す。
 なんやろう、この、高揚する想いは。
 あたしはドキドキしながら、成治の言葉を待った。
『やっぱり、涼のその和みな関西弁が聴けなくなったから、ってのが一番大きいな』
 成治の言葉に、どぐん、と大きく胸が波打った。
 声が震える。
「か、彼女、おるんちゃうの……?」
 なんであたし、こんなに緊張してんねん……!
『まぁ……な。でもやっぱ、どっかで求めちゃうんだろうなぁ……』
 心の底から、言葉が溢れてくる。
「好きや……」
 思わず零れた言葉に、慌てて、手で口を塞ぐ。
 でも、そのかすれ出た言葉を防ぐことはでけへんかった。
『……涼、今どこにいる?』
「……へ?」
 成治の急(せ)いたような声色に思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
『家は、変わってない?』
「う、うん。まだあんとき住んでたとこに住んでるけど」
『今から行くから』
 その声を境に、電話は切れた。
 かと思うと、刹那後、来客を示す呼び鈴が鳴り響いた。
 あたしは恐る恐る、玄関を開けた。
 そこにおったのは――。
「成治……!? な、なんで!?」
 切なそうに眉を寄せた成治は、手を伸ばしてきた。
「ごめん……」
 その言葉があたしの耳に届いた時には、あたしは、成治の腕の中やった。
「な、何が……?」
「涼、あのとき、本当は別れたくなかったんだろ?」
 成治はあたしの質問には答えんと、違う質問をぶつけてきたかと思うと、後ろ手でドアを閉め、さっきよりも強く、抱き締められた。
「せい、じ?」
「涼、りょう……!」
 久しぶりの懐かしいぬくもりに、手が自然と成治の背中へとまわる。
 再会の抱擁を心行くまで楽しんで、はたと気付いた。
 こんなこと、してる場合やない……!
 背中へとまわっていた手を戻し、力を込めて、成治を突き放す。
「な、なんでこんなんするん?」
 声が震える。
 心が恐怖に染まる。
 だって、だって、だってもう一度この人を手放そうとしてるんやもん。
 怖くないわけなんか、あらへん。
「……さっきの涼の言葉は嘘だったのか?」
 成治の声が冷え冷えと凍る。
 成治が怒ってる……あかん、泣きそう。
「ちゃう……ちゃうねん! 好きや、成治のこと、めっちゃ好きや! でも、でもっ! あたしら、あの頃にはもう、戻られへんもん!」
 言ってるうちに、目から水がぽろぽろと零れてくる。
「泣くなよ……」
 成治はそう言って、優しく拭おうとしたけれども。
「泣いてなんかいーひん! ゴミが入っただけや! うぅ」
 そう言いながら、後ろへと下がる。
「そっちに行っても、逃げ道がないだけだぞ」
 ジリジリと追い詰めてくる成治。
「わけわからんこと、言わんといて! それに、アンタ、彼女おるやん!」
 あたしの叫び声に成治がピクリと止まった。
 かと思うと、焦ったように頭をかきむしり、真っ赤に染まった顔で、いない、と小さくつぶやいた。
「……なんで嘘ついたん?」
 底冷えするようなあたしの声に、またもや焦ったように弁解し出す成治。
「あー、それは……あれだ! ずっと涼以外見えてなかったなんて、言えるか!」
 突然の嬉しい言葉。
 でも、そこで素直に喜べてたら、あたしたちはきっと、別れを迎えてへんかったはず。
「そんなん、正直にゆうたらええやん!」
 そしたら、こんな遠回り、せんでもよかったやんか!
 言外にそんな言葉を匂わせつつ、叫ぶ。
「バカ! そんなこと、言えるか!」
 コノヤロウ、って半ば叫びながら、また抱き締めてくる成治。
「あほ、あほ、あほ! 成治のあほぉー!」
 うえーん、という音が似合うんかな。
 あたしは、成治の胸の中で泣いた。