青い夜と赤い夜―

 

 

 それはある深い闇の夜のこと。

 名もない小さな村で生まれた赤子は、生まれながらにして死者

であり、その母親もまた死者となった。

 二つの命が失われたことを嘆いた父親の慟哭が村中に響き渡

り、絶望にも似た悲しみが村人たちを支配していた。

 闇の中のたった一つの光が雲に隠れ、漆黒の闇が襲い掛かる。

その中に聞こえる微かな泣き声。父親は慌てて息をしていない我

が子へと手を伸ばした。

 だが、死者は死者。

 動くはずもなく、冷たい肉隗はダラリとその腕をたらす。

「いったい………」

 思わず声を漏らす父親の耳には確かな赤子の泣き声。

 耳を澄まし、周囲を見ればその声は死した母親――妻の腹部よ

り聞こえるではないか。父親は恐る恐る、手を伸ばして血に染まっ

た産道を掻き分けていく。

 その手に当たる、確かな感触。

 触れた肉の温かみに父親は歓喜した。

 妻の遺した唯一の命だと、歓喜した。

 

 

 それが、すべての始まりとも知らずに。

 

 

「コウヤ、早く部屋に入りなさい」

 父親の言葉に少女――十四、五歳に成長したあの時の赤子は

微笑を浮かべた。その両手には泥がついており、足元には大量の

野菜が転がっていた。

 畑仕事を手伝っていた娘を気遣うように戸を開け、茶を勧める父

親。彼女はそれを受け取ると一気に飲み干した。

「ありがと、とうちゃん」

 白い歯を見せて笑う。

 若干、母親の面影を残す娘は働き者であり、村での評判もいい。

今から嫁入り先の事を聞かれるほどだった。

「とうちゃん、

 今日の分の野菜は庭にあるから後で籠に入れといてよ」

「分かったよ。コウヤ、ありがとな」

「礼なんていらないって」

 手をヒラヒラと振って、部屋の中へと姿を消すコウヤ。

 父親はそれを見送ると、静かに庭へと出た。少しだけ冷える空気

に体を震わせ、愛娘が収穫してきてくれた野菜を市場に持っていく

ために籠へと入れていく。

 これだけあれば明日の飯は確保できるだろう。

 もしかすると、コウヤに新しい着物の一枚でも買ってやれるかもし

れない。

 そんなことを考えていた父親の耳に不思議な音が聞こえる。

「………ん?」

 こんな時間に客人かと、足を進めれば――

「お、親父!!?」

 実の父親が、血を吐いて倒れていた。

 外傷などはどこにもなく、ただその胸には彼自身が吐いた血が

べっとりと付着していた。彼は叫んだ、妻を亡くした時のように激し

く叫んだ。

「誰か、誰か!! おれの親父が!! だれかぁぁぁ!!」

 叫んでいるところで、背後に誰かが立っているのが分かった。追

いきり振り返り助けを請おうと口を開くが、その口は開かれたまま

止まっていた。

 言葉など一言も紡ぎだせはしない。

「無駄ですよ。彼は私の最期の仕事ですから」

 男だか、女だか分からない声で告げられる。黒い外套で体を

覆い、その顔の上半分を隠しているソレはクスクスと笑いながら

男を指差した。

 恐ろしいほどに青白い手だった。

「あぁ、私はソウヤと申します。

 職業は…そうですね、案内人といったところでしょうか?」

「あ、あんない………」

 脳裏で、昔話を思い出す。

 死ぬ人間の行き先を教える、死神の話。

「かれこれ十年以上やってまして…疲れたので、後継ぎを探してい

るんですよ。知りませんか? 私の後継ぎに相応しい人を」

 恐怖と、憎悪が入れ混じる。

 激しい感情を吐き気を催しながらも、彼は娘の存在を知られぬよ

うに――死神にさせないように明後日の方向を指差した。

「あっちだ! あっちに………あっちにいる!!」

 彼の言葉にソウヤと名乗る死神は口元に笑みを浮かべた。

「そんな…ウソを吐かないでくださいよ」

 声が、冷たくなる。

 背筋を悪寒が走り抜け、同時に血の気が失せたのを感じた。な

ぜだろう、知っている――この死神を、知っている。

「私の後継ぎはあの人しかいないじゃないですか」

 黒い外套へと手をかける。

 あぁ、ちょっと待ってくれ。

 やめてくれ。

「同じ血の羊水(うみ)から生まれた――」

 外套が、外れる。

 出てきた顔は、顔は、顔は。

「こ、コウヤ………!」

「ソウヤ、ですよ。名前を考えていてくれたんでしょう?」

 笑う。

 死神が笑う。心臓の鼓動が激しい。

 胸が痛い。破裂してしまう。

「お父さん」

 告げられた言の葉。

 死者として誕生した子供は死神になる。

 死者から生まれた子供は死神になる。

「青は母さんの好きな色ですからね………

 赤は――母さんの死んだ色、私たちの生まれた色」

 微笑む、その顔は愛娘と同じ。

 双子、双子、双子――

「ダメだ、コウヤはつれていかせねぇ…ダメだ!」

 両手を広げて、部屋への道を塞ぐ父親。その姿にソウヤはクスリ

と笑みを漏らした。コウヤと同じ顔が微笑む。

「つれていかせないも何も………コウヤは立派な死神ですよ。

 小さい頃から鶏を肉にしたでしょう?

 野菜たちを摘み取ったでしょう?」

 働き者の、愛娘。

 父親の双眸が見開かれる。

「さ、コウヤ出てきてください」

 雨戸を閉めていなかったのが、仇になった。

 窓から顔を出したコウヤは微笑むと、ソウヤへと手を伸ばした。

「久しぶり、ソウヤ」

「久しぶりですね。交代の時間ですよ」

 交代――その言葉にコウヤは満面の笑みを浮かべて、父親を

見た。その瞳には不可思議な色が灯っている。

「とうちゃん、しばらく会えないけどソウヤと仲良くね」

 黒い、外套がコウヤを包む。

「コウヤ! おれを、おれを置いてかないでくれ!!」

「置いていきませんよ。私がいますから」

 コウヤの服を纏った、ソウヤが笑う。

「青い私と赤いコウヤで交代交代、あなたの子でいますよ」

 二人の声が交錯する。

 

――ダイスキナ、オトウサン――

 

 

 刻まれる名前。

 青い死神、蒼夜。

 赤い死神、紅夜。

 

 小さなあばら家。

 発狂した父を世話するは二人の死神。

 いずれ訪れる、死のそのときまで。