目覚めて瞠目。
 隣りで眠る白い肌の持ち主に思わず絶句。
 枕元に散乱した自分の衣服と、相手の衣服。使用済みのティッシュが
無造作に転がっている様は、数年前の自分の家を思い出す。
 しかしここは自宅ではない。
 ラベンダーの香りがする部屋が自分の部屋であるはずがない。
 彼はすやすやと寝息を立てて眠っている白い背中を凝視した。見覚え
のある――ある、なんて曖昧なレベルではない。名前も年齢も知ってい
れば、こうして自宅も知っているし、時には呑みに行くことだってしていた。
 ――他人ではない。それは間違いない、しかし恋人かと言われれば首を
横に振るしかなかった。
 彼は口の中にたまった唾を飲み込むと、恐る恐る震える唇で言葉を紡いだ。
「ま、雅紀……?」
 すやすやと静かな寝息をたてて眠っている白い背中。華奢という言葉が相
応しい、細い体躯をしているが、その体は決して女人のように柔らかくはない
ことを彼は知っている。
 引き締まった筋肉で覆われた根っからのアウトドア派な一つ年下の友人。
「雅紀ー……?」
 それがどうして、全裸で同じ布団に包まって眠っているのか分からない。
 正直なこといえば、分かりたくない。
 大学に入学早々交通事故によって、一年を無駄に過ごしてしまったキング
オブ不幸な青年こと仁は、全身から血の気が失せるのを感じながら、タオル
ケットに辛うじて大切な部分を隠されている自らの下半身へと目をやった。
「……うへぇ」
 なんとなく。
 なんとなくでしかないが、ほんとうになんとなく。
 とても、気持ちいいことがあったような気がしてならない。
 爽快感と呼ぶべきだろうか。とてもすっきりしているような気がする。それは決
して、下半身を露出した状態で睡眠をとったからではないだろう。
 もしもそうだとしたら自分はかなりの変態ではないかと。
 本当にそれで性的な欲求を満たせるのならば、夜の街に遊びに行かなくても
――ここまで考え、当初の目的とずれてきていること気がついた仁は、即座に
思考を元のレールへと戻した。
 何が問題か。
 それは考えるまでもない。
 男と同じ布団で眠るのは別に何を言うわけでもない。たまにある。
 問題なのはお互いに全裸であること。
 使用済みのティッシュがさりげなく散らばっていること。
 とても下半身が開放感に満ちていること。
 さらに言えば、悩んでいる仁のことなどお構いなしに安らかな寝息を立ててい
る雅紀の白い肌に点々とつけられた、キスマーク。
 余談ではあるが、雅紀は半年ほど前に彼女と喧嘩別れして以来誰とも付き合っ
ていない。
 女遊びもハデではない彼が、昨日つけました。なんて主張するようなキスマーク
を所持しているとは思えない。
 つまるところ――導き出した結論に、仁は頭を抱えた。
「……俺……もしかして……」
 がっくりとうな垂れたくなる。
 失恋したのが一週間前。
 恋の痛手を回復する前に友人に手を出した?
 しかも男に?
 いろいろとおかしいだろう。
「雅紀! 頼む、起きろ! 起きてくれ!!」
 細い肩を掴んで激しく揺さぶる。
 ガクガクと頭を揺らしながらも、雅紀はブツブツと寝言を漏らし、気持ちよさそう
にいびきをかき始めた。もしかしたらバカにされているのかもしれない――一瞬、
本気で殴って起こそうかとも考えたが、もしも。もしも昨晩の起きたかもしれない出
来事が原因とするならば、それは自分の責任でもある。
 その状態で叩き起こしては酷いのではないか? そんなことが脳裏を過ぎり、握
り締めていた拳から力を抜く。
 大きく息を吐いて、無邪気な顔で眠っている雅紀を見下ろすと、仁は何も言わず
に枕元に放置されていた下着を身に着けた。
「むにゃ〜やぁだぁ、もぉー。そんなこと言ったって何もでないよぉ〜」
 ――何の夢を見ているのだろう。
 身支度を整え、散らばったティッシュを片付けている仁の目に信じたくないものが
飛び込む。
「うお……こ、これ……は」
 ティッシュと――使用済みのゴム。ゴムと言ってしまうと、ヘアゴムと勘違いしてし
まううっかりさんがいるらしいが、ようは避妊具で時折りサイフの中に忍ばせている
人間もいると聞くが、あれは会計の時に他人に見られても気にしない鋼鉄の心をもっ
た人間だけがなしえる業なのか、それとも「今夜、オレとアバンチュールを楽しもうぜ☆」
という無言の誘いなのか。
 未だに理解することができない不思議な他人の性部分だった。
「と、とにかく始末しないとな……」
 ティッシュで包んで、ゴミ箱へ。ちょっと嫌な気分のような、気恥ずかしいような。
 不思議な感覚に一人で気まずくなっていた仁は、まだまだ楽しそうに眠っている雅紀の
鼻を軽く摘んだ。
「さっさと起きろ、このバカっ」
「仁さんってば……やめてくださいよぅ……そんな、無理ですってぇ……」
「どんな夢見てんだお前は!!!」
 スパン!
 軽快な音をたてて近くにあった新聞紙が凶器と化す。
 新聞紙で叩かれた雅紀は、亜麻色の髪を左手で撫でながら、右手で腹を掻いてい
た。まるで実猿のようだ――そんなことを思った仁の目に本日何度目の信じたくない
ものが飛び込む。
「うげっ」
 太股の間のキスマーク。
 運良くその付近のデンジャラスゾーンは見ずに済んだが、それでも男の太股の間に
キスマークがあるというのは精神衛生上よくない。やはり自分は手を出してしまったの
だろうかと疑ってしまう。
 たたでさえ証拠が揃いすぎて、そろそろドッキリではないかと思い始めているというのに。
「あ、仁さんーおはよ」
 ぼりぼりと腹を掻きながら起き上がった雅紀。ネボケ眼でも相手のことは認識できて
いるらしく、学校で会うときと同じような仕草で手を振り上げて笑った。
 ふにゃ、と笑うこの顔は、仁のお気に入りの部分でもあった。この表情さえなければ、
今ごろ雅紀と二人で呑みに出かけたりするほど仲良くなってもいなかっただろう。
 むしろ他人で終わっていたかもしれない。
 ふにゃ、とした笑顔と機敏な動きのアンバランスさが友人になったきっかけだったのだ
から。一年間の入院によって友人のいなかった仁にとって、たった一人の掛け替えのな
い――親友、と呼ぶに相応しい相手だったというのに。
「ま、雅紀」
 心を落ち着けながらその名前を呼ぶ。
 親友と勝手に思っている相手に手を出してしまったことを謝らなくては。
「なんですかー?」
 腹の次は尻が痒いらしい。ぽりぽりと尻を掻いている姿は、とても彼に憧れる大学の女
子たちには見せられない。中性的な魅力なんてものが一切ない、ただのおっさんだこれは。
 まばらに生えたヒゲを指先でなぞって、ふにゃりと笑う。
 その笑みに心臓が大きく揺り動かされたが、仁は怯まずに意を決して口を開いた。
「悪い! 責任はとるから!」
「は?」
「俺が昨日の夜に何したかなんとなく分かってるつもりだからな。
 お前がもしもケガしてたりしたら、病院にも行くし。治療費だって!」
「いや、なんのはな――」
「体は大丈夫なのか!? 俺、男同士なんて全然知識ないからムチャとかしてないよな!?」
 ガシッ! と雅紀の両手を掴む。
 最初は上手く事情が飲み込めていないようだった彼も、段々と仁の言いたいことを理解
してきたらしく、唇を尖らせて再びふにゃりとした笑みを浮かべてみせた。
「おれはちょう無事。つか健康そのものですよ」
「そ、そうか?」
「むしろ仁さんだいじょーぶですか?」
「なんで?」
「なんでって――」
 するり、と仁の腰へと雅紀の腕が回される。
 服を身につけてはいるものの、這うような手の動きに思わず悪寒が走った。
「優しくしようと思ったんですけど〜やっぱり、酔ってたし。
 仁さんがかわいすぎたんで、セーブきかなくてーゴム外した後も抜かずに何回できるか
とかしちゃいましたし? まぁ、ちゃんと後始末しましたけどね。
 仁さん気絶しちゃうし」
 ふにゃ、とした笑顔で言ってはならないことを言われたような気分だ。
 いや、実際に言われたくないセリフであることに間違いはない。
 抜かずに?
 気絶?
 ちょっと待て、と叫びたい衝動に駆られるものの、言葉が出ない。ワナワナと両腕を震
わせるも、その指先を軽く舐められて、さらに言葉を失う。
 仁がそんな状態だというのにもかかわらず、雅紀は相変わらずのふにゃ、とした笑顔
で太股のキスマークを指差した。
「だって、涙目になってまで必死に銜えて、しかもキスマークつけていい? とか聞くんで
すよー? 爆発しますって〜あ、ほら。思い出したら」
「ぎゃー!!! 下品にも程があるお前!!」
 タオルケットをはらって、思い出したらどうなったのかを見せつける雅紀。だからふにゃ、
とした笑顔でそれをするなと声高に叫びたいが、鼻と鼻が触れ合うまでに近づいた彼の
瞳の真剣さに見入ってしまう。
 叫びたいことも、手馴れた様子でベルトを外しにかかる彼の手も、細かいことなのかも
しれない。
 ――いや、そんなはずがない。
 仁は雅紀の顔を押し退け、
「や・め・と・け!」
 凄むように告げた――が。
「いやでーす♪」
 ほとんど女子高生のようなテンションで拒否された挙句に、ホイホイと脱がされてしまった。
「ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!!」
「仁さんが可愛いからいけないんですよー?
 今まで我慢して来たんだからむしろ感謝してくだーさい」
「我慢って、何をがまっ」
「仁さんをエロビかよってくらいに汚したい衝動?」
 可愛く小首を傾げるその仕草。
 今日だけは可愛くない。
 今日だけは――


 頼むからその衝動、トイレに流してきてくれよ……