私を抱き締める――そんな簡単なことにウソもホントもないだろ。

 

 

 宵闇に浮かぶのは真紅の月を思わせる女の影。見上げども互いに視線を

交わすことはないのだと娘は呟く。二人が同じ存在であるがゆえに、二人は

互いに反発し合うのだと――

 月のない夜空で苦笑する娘は、今までに見たどのような女よりも美しく――

同時に儚いとすら思った。

 男は、血の通わない腕を伸ばそうとし、すぐに下ろした。

「どうした? 顔色が悪いな」

 予備の腕を調整していた娘が顔を上げる。

 機械をいじるような手には見えない――戦う者の手には、ニヴルヘイムの

技術でもなければ人間の技術でもない手法で作られた義手が、握られてい

る。皮膚は本物と違いなく、強度はやや強く。

 指先まで自分の思うとおりに動かせるようにと改良を加えた代物は、この

国のたった一人のために作られた。

「魔力の消費でも激しいか?」

 骨の変わりに組み込まれた物質と、その周囲を神経のように張り巡らされ

ている無数の回路。それを魔力で繋ぎ合わせ、微弱な魔力でも動くように作

り上げる。いささか体力を消耗する義手ではあるが、長い年月を不便な義手

で過ごしていた男にとっては、便利すぎる代物でもあった。

 魔族でありながら魔力のない自分のためにと作られた義手。

 目を伏せていた男は、遠い過去に失った腕の代わりを見つめた。

「そんなことはありません。ただ――自分の腕が戻ってきたようだと、錯覚を」

「へぇ……」

 調整をしていた手が止まる。

 小さな明かりの中で見えるのは、黒をまとう姿と――妖艶な闇色の眼差し。

 年端のいかない子供と思おうとしても、貴い黒を纏って血と踊るその姿は、

確かな女を感じさせる。浅ましい想いを抱いたことがないと言えばウソになる

ほどの。

 男は、娘から目をそらした。

「僕が作ったものにそこまで言ってくれんなら嬉しい限りだな」

「……その錯覚は、時折り……苦しみすらも感じさせてくれます」

 息を吐いて呟く。

 告げられた言葉に娘はどのような表情を浮かべたことだろうか。調整を終

えたのか予備の腕がベッドへと投げられ、木製のイスが軋む音が聞こえた。

「何が苦しいんだ?」

 丁寧なことに、感覚まである義手を娘の手が撫でる。

 剣ダコがあるわけではない――しかし、まったくの無傷でもない手は、欠陥

を捜そうとしているのか皮膚の上を滑っていく。もしもこれが確信してしている

ことだったならば、どれだけ救われたことか。

 浅ましい想いにも気付いて、この感情をも知っての行為ならば――

「本当の私は、あなたを抱き締めることすら叶わないのだという現実に……」

 ――義手を作成した本人を、冷たい腕で掻き抱く妄想に罪を感じずに済ん

だのかもしれない。

「僕は詩人と会話してるヒマなんてないけど?」

 義手に触れる手が離れる。

 呆れられた――むしろ、その方がいいのかもしれない。後ろめたさと悲しみ

から目を伏せた男の頬に、暖かい手が触れた。

「詩人と会話するヒマなんてないけど、お前となら会話してやるよ」

 どこか意地の悪い笑顔。

 小さな灯りに照らされた漆黒の眼差しは、浅ましい想いを膨張させて。

「着飾ってねぇお前の本音はどこだ?」

 血の通わない義手をその腕に抱く。

「……な、ナセ……様?」

 そのヒザに腰を下ろして。触れる柔らかさに理性を失いそうになる。

 小柄ながらも幾百の命を一瞬で屠る手は、義手の表面を撫ぜて軽く爪を立

てて笑う。

「この腕はお前に作ってやったんだからな。お前の腕以外のなんだってんだか

……なぁ?」

 指先を唇で挟んで、指の腹を舌でくすぐる。

 何がおかしいのかその口からは機嫌のいい声が漏れて。その顔には笑みが

浮かんで。

 男はされるがままになりながらも、娘から目を離せなかった。

「難しいこと考えたきゃ考えてろよ。

 お前の脳内なんて僕にゃ関係ねぇしな」

 手の平に舌を這わせる。

 指の間へと舌を滑らせ、彼女の指先は義手の表面を愛撫して――自分のも

のではないはずの腕が熱を帯びる。

 欲しいと求め始める。

 妖艶な黒は、その熱に気付いてるのだろうか?

「お前を受け入れはしても、溺れる気はねぇから――だから…………なぁ」

 振り返って微笑を浮かべて。

 合わせた唇から息が漏れるまで――甘い睦言が聞こえるまで。

 軽く歯をたてた耳朶に囁いて。

 

 

――その両腕で抱き締めてみろよ。どっちもお前の腕なんだからな――

 

 

 

 掻き抱いて。

 触れた熱は確かなもの。

 偽りの腕と思い込んでいた腕は、確かに自分の熱を伝えて。

 汗ばんだ肌に触れて熱を帯びる。

 宵闇の中で――冷たい腕に血が宿る。

 

 

「私を抱き締めるだけにウソもホントも必要ないだろ?

 本当に頭の固い男だな、アシュレイドは」