秒針が時を刻む。

 心臓の音にも聞こえるこの音。

 いつになったら止まるのか。

 電池が切れたら止まるのか。

 私の命の電池はどこか。

 とりとめもないことを考えて、眠れる夜を過ごした。

 朝陽が昇る頃、真紅の鳥が真っ青な空を羽ばたいて。

 その羽を散らす姿を見ながら――

 

 私は笑った。

 

 とても冷たい微笑で。

 

―五秒前―

 

「ナナセ様!」

 背後からの呼び声に、ゆっくりと振り返った夕莉は声の主を探した。

そこに立っているのは、部下の一人で――名はなんと言ったか。決し

て弱くはない魔力を持った女性だということしか覚えていない。

 しかし、その女性は夕莉の手に小さな木の実を握らせながら、

「本日の正午、もしもお暇でしたら中庭にいらしてください。私たちでパー

ティーをひらきますの」

 陰気臭いとまで言われる零番隊で珍しい――そんなことを思いながら

も、夕莉はどこか不器用な笑みを浮かべていた。

「あぁ。時間があったらな」

 ありがとう、と小さく付け足して。

 彼女は受け取るべき書類を受け取るために歩き出す。

 城内はいつもよりも賑やかだった。

 理由は知らない。

 必要以上に溶け込もうとは思わないし、何よりも――

 まだ、言葉がわからないときがある。

 単語だけであればどうにか理解が出来るが、冗談を織り交ぜられると

わけがわからなくなる。それゆえに、深い交流は避けていた。しかし、今

日だけは違った。

 酷く気分が悪かった。

 空があまりにも青すぎて、空を行く鳥があまりにも綺麗で。

 血とドロに汚れていく自分が嘲笑われているような気すらした。

 だからこそ。だからこそ。

 その場に姿をあらわしたくなったのかもしれない。

 ――畏れられ、遠ざけられれば楽になるかもしれないと。

 この闇に誰も入れないように。

 彼女は酷く歪んだ笑みを浮かべ、手の中に木の実を強く握った。

 硬いカラは割れずに、軋む。

 それはまるで、彼女の心のように。

 

 

 

 

 花の咲き乱れる庭園。

 そこで行なわれるティーパーティー。ニヴルヘイムの特産物の一つであ

る、柔らかい香りが特徴的な紅茶は城のメイドたちが用意したケーキとよ

く合い、普段は交流のない他部隊とも会話が上手く行なわれているようだった。

 その中で姿を現した夕莉に声をかける者はおらず。

 ただ視線だけが注がれていた。

 紅茶を啜り、その苦さに顔を顰めながら。それでもケーキには決して手

を伸ばさずに。

 彼女は表情のない顔で花々を眺めていた。

 決して淋しいなんて感情はない。

 ただ、酷くだるい。

 無駄な時間だと思った。

 ――電池が無駄に消費され、大切な所で止まってしまったらどうしよう。

 そんなことをふいに思った。

 ならなかった、目覚ましを思い出す。

 大切な日に、鳴らない目覚まし。

 それはゴミ。必要のないもの。

「……電池、か」

 この国にはないものを思い出し、彼女は残りの紅茶を一気に啜る。

「おかわりはいかがですか?」

 それを窺っていたかのように、声がかけられた。

 その声に彼女は空を仰ぐ。

「お前か」

「はい。私です」

 彼女の言葉に不機嫌そうな声で、それでもどこか優しい声で返した男は

――アシュレイドは、手にしたティーポットの中身を彼女のティーカップへと

注ぎ、それを手渡した。

 熱さと苦味に顔を顰めている姿を見、彼は不思議そうに首をかしげる。

「ケーキもありますよ」

「いい。あまり好きじゃない」

「そうですか」

 会話が終わる。

 なんて思われているかは知らないが、彼女は彼をつまらない男として認

識しているだろう。ゆえに新しい話題も出さない。ただ、ただ、無言の時間

が過ぎていく。

 甘い香りが鼻をついて。

 なぜか酷く気分を害す。

 理由は忘れた。

 ただ嫌い――それだけ。

「ナナセ様はケーキがお嫌いだそうですが、なにか理由があるのですか?」

 横でケーキを食べ始めたアシュレイドを見上げ、夕莉は唇をきつく結ぶ。

白い生クリームが、真っ赤なイチゴが、何かに見えてくる。いい色をしたス

ポンジも、大嫌い。

 あの甘さが、嫌い。

「……さあ」

 小さく答え、紅茶を口に含む。

 甘い匂いが、鼻をつく。

 

 甘い、甘い。

 

 甘くて、溶けてしまいそうだ。

 

 甘い匂いが充満して、息が出来なくなって。

 誰かに首を絞められた。

 甘い匂いが、鼻をついて。

 

「あぁ。東の森のケーキの怪物に襲われましたか?」

 

 ケーキの怪物。

 もしかすると、そうだったのかもしれない。

 とても、大きなケーキだった。蝋燭が、赤々としていて。

 いきなり、視界が真っ暗になって。

 息が出来なくて。

 甘くて。

 苦しくて。

 時を刻む時計の針の音が、嫌に大きく聞こえた。

 ゆっくりとしたその音は、自分の心臓の鼓動だと思った。

 

「大丈夫ですよ。このケーキは襲ってきませんし。一口いかがですか」

 

 いやにしつこい。

 普段なら、一言二言言えば諦めるのに。

 夕莉は顔をあげ、頭一つ分より少しうえにあるアシュレイドの顔を見た。

 目で、屈めと合図する。

「? どうしました」

 屈む。

 ケーキの匂い。

 甘い、匂い。

 

 

 そんなに喰われたいのなら

 望みどおり

 喰ッテヤルヨ。

 

 

「…………」

 驚いた、アシュレイドの顔。

 口の中に広がる甘さ。

 食いかけのイチゴ。

 甘酸っぱい。

 甘い匂いが同化する。

 唇についた生クリームを舌ですくい、そのまま口腔にあるイチゴへと擦りつける。

 まるでイチゴを守るかのように動く舌を絡めとって、そのイチゴを奪うように暴れる。

 皿が落ちる音がした。

 アシュレイドの大きな手が、肩を掴んで。

 思わず自分の双眸を彼を上目遣いに見ていた。

 

「っ……は、ぁ」

 一瞬、隙が出来て。

 その間にイチゴを奪い取った。

 呼吸を整えようとしているアシュレイドを尻目に、彼女は奪い取ったイチゴを咀嚼する。

 甘い。

 甘い。

 

「美味しくない。こんなものよく食べれるな。アシュレ――」

 

 呑み込む寸前だったイチゴを、奪われた。

 荒々しい舌に、すべてを持っていかれると思った。

 

「私のイチゴです」

 

 呑み込む。

 喉が、動く。

 心臓が、痛い。

 

 時計の音が聞こえる。

 

 時を刻む音。

 秒針が動く。

 電池が――新しい電池が、入れられる。

 

「……欲張りなヤツだな」

 

 胸にそっと手を当てて。

 その鼓動を確認する。

 

 少し早い脈動。

 

 キミを想う五秒前。