――アイシテル――


 漆黒の剣振りかざして。
 白光の剣振りかざして。

 共に朽ち果てよう。
 共に還ろう――あの海へ。


――アイシテル――


――誰よりも、何よりも――






 信者たちも眠る夜更け。祭壇で天井を仰ぐのは、一本一本が発光してそうな
ほどに美しい金の髪を肩口で切りそろえた、色の白い少年。
 その理知的な青い瞳は何を見ているのか、一点を集中して見詰めたまま動く
ことはなかった。
「何してるんだい? 兄様」
 声だけが聞こえ、少年は視線を天井に向けたまま、
「この門の先には母様がいる……そう考えると、離れ難いと思ったまでです」
「だから兄様は、いつもここにいるんだ」
 少年の足元が黒く染まる。それは濃い闇の中でも決して、見逃すことのでき
ないような深い黒。触れれば全てを呑み込んでしまいそうなほどの――
 少年はようやく天井から視線を下ろし、青い瞳を瞼で隠した。
「ケイオス、どうしました?」
「兄様はずるい」
 闇から、腕が生える。それは少年の腕を掴んで引き寄せ、さらにもう一方の
腕が背中を抱く。
「僕はいつも外で人間しか見てないのに」
 少年の顔に笑みが浮かぶ。
 優しく、その腕の先へと腕を伸ばし、まるで不貞腐れた子供が物陰に隠れて
いるのを抱き上げるようにして――
「ケイオス、闇の貴女。その姿まで闇に隠すことはないでしょう。出てきなさ
い、私の妹」
 闇から顔を出す、褐色の肌と銀の髪――そして、赤い双眸の少女。色は違え
ど、その容姿は少年と酷似しており、色以外の違いといえば表情のつくりくら
いであった。
 背丈もまったく同じ少女――ケイオスの全身が闇から現れ、少年はその頬へ
と手を伸ばす。
「母様に会いたいのでしたら、いつでもここに来なさい。私は歓迎しますよ」
 伸ばされた手と同じように少年の頬へと手を伸ばす。
「兄様――カオス、僕は闇。光溢れるこの祭壇にいたら、この場所を呑み込む
かもしれないよ」
 鏡合わせのような二人。闇の中では全ての色が失われ、まるで一人の人物で
あるかのように見える二人。けれど、伸ばされる腕は二本。
 見詰め合う瞳は四つ。
「ならば――それもいいでしょう」
 ケイオスを抱き寄せ、カオスが笑う。
 それはとても冷たい笑み――人間からすれば、凍りつき砕けそうなほどに冷
たい笑み。
「私たちは元々一つ、一つに還るのもまた――母様への帰還」
 手の平を合わせた二人の手が溶け合う。それは徐々に互いを侵食し合い、二
人を一つの黒へと変えていく。
「独りは淋しい、苦しい、辛い――母様は私たちにそのような想いをさせぬよ
う、二人にしてくれました」
「優しい母様。僕たちは二人で一人。どこへ行こうとも離れることなんてない」
 足が混ざり合い、やがて腹も一つになろうと溶けていく。
 うっとりした笑みを浮かべているケイオス。その額をカオスの額へとくっ付け、
真紅の瞳に笑みを浮かべる。
「兄様――」
 青い瞳に浮かぶ、冷たい微笑。
 カオスの唇はささやくように告げる。そして、それを倣うように、ケイオスも
唇を震わせる。

「アイしています」

「アイシテル」


 母より授かった言の葉。母より囁かれた言の葉。
 一つに溶け合った黒は、しばしの時をそのまま過ごした。それは決して、人の形
をとってはいなかったが、そこより聞こえる囁きは幸せそうに、楽しそうに――ま
るで、仲睦まじい、人間の兄妹のようであった。
 遠い地より、母のために降り立った対なる双生児。
 その情が互いのために、母のためにしか発揮されないものと知らず――集う人々
は増えていく。
 この深い闇と、まばゆい光に惹かれて――歯車が揃っていく。
 すべて砕けるとも知らずに――――




 光の大地。
 この楽園に相応しい、光の少年を見据えるのは、闇の少女。
「反抗的な瞳ですね、以前はそんなことありませんでしたのに」
 肩をすくめる――兄から目を放さず、唇に浮かべた笑みを消さず。少女は口を開いた。
「カオスが盲目だった、それだけ。ついでにー僕の幼年期は終わりを告げて、他を知っ
ただけだよ」
 真紅の瞳が笑う。
 それは柔らかい笑みながらも、侮蔑を含んだ――嘲笑。
「兄様、昔は僕を愛してる――と言ってくれたね。今は……どう?」
「ケイオス、おかしなことを聞きますね」
 冷たい微笑。あの当時と変わることのない――否。あの当時よりも冷たくなった、
何かを失ったカオスの微笑。
 ケイオスは告いで紡がれる言の葉へと耳を傾けた。
 光の大地に咲き乱れる花々が揺れる、木に吊るされたブランコが揺れる。

「愛していますよ、殺してしまいたいほどに」

 紡がれた言の葉、突きつけられる白光の剣。
 ケイオスは破顔した。耳まで裂けそうなほどに深く笑い、その真紅の瞳を見開く。

「同感だよ、兄様」

 カオスと同じように、漆黒の剣を突きつけて――ケイオスは甘えるように告げる。
「変わらないままに変わってしまった兄様。かわいそうに、僕だけはずっとお傍にいるよ」
「変わり果て、誇りすらも失った愚昧。私なら、愚かしいその生を抱きとめてあげますよ」
 互いに剣を突き付けたまま、愛の言葉を交わす。
 当時とは違う――もはや、今となってはあの頃が夢の世界であるかのように。
 何百年に渡って交わした言の葉、笑み、苛立ち、まるで人間のような日々であったと、
今なら思うだろう。
 ヒトを知ったケイオスは――
 ヒトを知らぬカオスは――
 砕けた歯車に埋もれ、互いを見失い、何かを失った。
「同じ胎より産まれた愛しい愚昧」
「同じ胎から産まれた愛しい兄様」
 鏡合わせ――そのカオスの左手が、ケイオスの右手が、絡み合うようにして混ざりあう。
 喉元に突き付けられた剣は動かずに、互いを牽制し合い――那由多の愛の囁きを導き出す。

「アイシテイマス」
 ――偽りの命を奪い、道具として使役したいほどに。

「アイシテル」
 ――この地に染まった躯を砕いて、連れ還りたいほどに。


「この、サスラの全てよりも愛しています」
「この、サスラの全てよりずっと愛してる」














 暗転。














 ブランコが揺れる。
 静寂の楽園――花々の間に落ちているのは剣。
 まぐわい合う刃が二人の行く末。

 あの、金色の海で溶け合い――一つになる。


――アイシテル――