光の槍が脇腹を掠める。
 身をひねってそれをかわすと同時に、両手で握っていた大鎌から
手を離せば、瞬時に大鎌は自らがするべきことを行動へと移す。
 それはキルケの周囲を浮遊する太刀も同じだった。
 二人の金属が擦れあい、火花を散らせる。
 鼻をつく強い魔力の匂い。
 夕莉はその手に宿していた魔力を解き放とうと、力ある言葉を紡いだ。
「堕ちろ! 天裂く怒りの刃
 我が手に堕ち、一太刀の刃と化せ!」
 青白い火花が散る。
 術者以外が触れれば、途端にその肉を焦がし、炭へと変えてしま
うほどの強い魔術は、夕莉の手の中で剣の姿をとった。
「ずいぶん遣いこなしているのね」
「これくらい当然だろ」
 雷で構築された剣が、キルケの杖を叩く。しかし、それは再び透明
な壁に阻まれ、耳障りな音を立てるだけに留まった。
 夕莉の唇が不機嫌に噤まれる。
「とっとと本気出せよ……いつまで遊ぶつもりだ、大魔導師!」
「――歪んだ復活祭に感謝をするべきかしら? 滑稽なあなたを笑えるもの」
 キルケの細い手が伸ばされる。
 それは透明な壁をすり抜け、バチバチな火花を散らして刀身を削って
は、再びその身を構築し続けている剣を掴み、まるでそれが自分の持
ち物であるかのように笑う。
 真紅の眼が細められ、血のような色をした真っ赤な唇が三日月の形に歪む。
「あなたは知りたいと思わない? 私がこうして命を得ている理由を」
「お喋りなんかしてていのかよ。僕は、アンタを殺す手を止めねぇぞ」
「無駄……だって、今もあなたの魔力で構築された剣は、私を傷つけるこ
とができないもの」
 力を込めて剣が握りこまれる。
 通常ならば、その時点でキルケの手は消滅してるだろうに――剣は、キ
ルケを傷つけるどころか自分の出番が終わったと言わんばかりに、その
身を収縮させていた。
「何しやがった……?」
「簡単なこと。
 私とあなたが同じモノだから……私は光。あなたは闇。
 傷付いた私の魂は、永き時間を眠ることで傷を癒そうとした。けれど、ア
スタロト様はこの地を去ると言い、違う世界への転生を望んだ」
 音もなく、剣が消滅する。
 カロンを呼ぼうにも太刀と争っている状態で呼び寄せては、今よりも戦況
を悪化させてしまう。夕莉は目前で、思い出話を語るかのような穏やかな口
調で喋っているキルケを見据えた。
 殺気は存在していない。
 もしかすると、ここにきた目的は別にあるのかもしれない。
 考えられる可能性は――
「アスタロト様を守るため、ネビロス様も別の世界へと。
 ――その門を越えた旅路に私も連れて行ってもらったの……そうしないと、
私はアスタロト様を守れないから。そして傷付いた不完全な魂のまま、私は
転生をした。
 七瀬 夕莉、あなたへと」
「僕の体は僕だけのものだろうがっ! 死人は墓の中で寝てろ」
 何も握っていない手の中へと再び魔力を練りこめば、それはいとも容易く
キルケの魔力によって相殺されてしまう。
 キルケを覆う透明な壁が姿を消し、右眼を失った大魔導師がゆっくりと近
づいてきた。
「えぇ。そのつもりだった。
 けれど運命は残酷なもの……この世界は、私を望んだ。私を望み、あな
たを棄てた。
 私は世界に呼ばれ、ネビロス様に求められ、再び復活した。
 これが古の大魔女の復活祭……だと思った……私も、ネビロス様も」
 ピタリと足を止める。
 杖を携えている右手を天へと掲げ、その手へと太刀が降り立つ。
 どこを見ているのか分からない真紅の眼は、遠い空を仰ぐかのような―
―ここではないどこかを見ていた。
「歪んだ復活祭。世界、未来をあなたに託して眠りについた私を、あなたの
魂の半分と私の亡骸を奪うことで黄泉還らせた……私の肉体、私の心……
あのまま消えてしまえば、全てを昇華できたというのに――」
 言葉に感情が宿る。
 それは、自分の知るものではない――七瀬夕莉が夢に見てきた炎の女の
ものではない。
 夕莉は息を呑んだ。傍に戻ってきた大鎌を握り締め、いつでも飛び立てる
ように体勢を変え、できる限りの白兵戦の戦術を脳裏に描く。
「もう……」
 苦しそうに、胸を抑える。
 知らない。
 こんなキルケは知らない。
「駄目なのよ……私は……」
「――!!」
 空気の温度が変わる。
 訪れるものに感付いた夕莉は、咄嗟に地面を蹴った。
「死んで、黒い私! 私とあなたは光と闇、一つにならないと生きていけない!
 私は生きたい! この世界で、あのお方たちと同じ時を過ごしていたい! 
 黒い私、闇の私! 私にその陰の魂を寄越しなさい!」
 杖を媒介に何かを生み出す。
 その何かの正体を知っている――? 否、魂が覚えている。
 夕莉は大鎌の刃に足を乗せ、キルケから一気に距離をとった。
「火精王!」
 呼び声は、周囲に漂う微弱な精霊たちを食い荒らし、これでもかというほど
の魔力を掻き集める。それは、その場に居合わせた魔獣たちとて例外では
なかった。
「んなもん呼び出すのかよ……!」
「私を殺すには、これくらいのものが必要よ」
 収束していく魔力。
 それは、やがて見覚えのある懐かしい姿を構築する。
「火精王……!」
 憎悪に満ちた声でその名を呼べば、姿を荒らした火精王――赤い光を纏っ
た、隻眼の女はニタリとした笑みを浮かべた。
「おぉ……我らの玩具は玩具同士で潰し合いを始めたようだ。
 蠱毒にでもなるつもりか?」
「皮肉だったら今すぐぶっ潰す!」
 夕莉の言葉に火精王は、術の制御を行っているキルケの頬へと自らの顔を
近づけた。その体は、どれほどの熱気を放っているのだろうか、瞬時に結界を
張っただろうキルケの青白い頬が焼け爛れていた。
「これはこれは……陰と陽であれど、よく似ているな」
「火精王。私は雑談をするために呼んだと思っているの?」
 真紅の眼に睨まれた火精王はくぐもった笑い声を漏らしながら、腕の存在を
感じさせないドレスの袖をはためかせた。
「闇を喰ろうて蘇ろうと? くふふ……魔族も面白いことを考えると思っていた
が……お主も愉快なことを考える」
「…………」
 杖を握るキルケの手に力がこもる。
 さすがの大魔導師なれど、精霊たちの王を思うが侭に動かすことは不可能
なのだろうか。夕莉は、一定の距離を保ったまま自分がすべき行動を考えた。
 精霊の王を呼び出すことができれば、五分五分にまで持ち込めるのかもし
れないが――
「……なにビビッてんだか。やりゃあーいいんだよ。やりゃあーよ」
 一瞬でも臆した自分自身が赦せないのか、夕莉は自らの右腕を大鎌の刃
へと擦りつけた。主の突然の行動に驚いた大鎌が激しく体を震わせたが、
「カロン! 危ないと思ったら僕を気絶させるなりなんなりして逃げろ」
 言い聞かせるように告げ、そのまま自らの腕を大鎌の刃で切りつける。
「おぉ。陰陽のバランスのとれていない魂が無理をするものだな」
「火精王……潰しなさい」
 杖を地面に突き立て、キルケはまっすぐに夕莉を見据えた。
「御意……ふふ、面白いことだ」
 笑みを浮かべたまま、火精王は空を駆った。その先には自らの血を指に絡
めとり、宙に文字を綴る夕莉の姿。怯えているのか大鎌は普段とは違った様
子で浮遊していた。
「陰の魂は光に焦がれ、焼き殺されるか?」
「あぁ、その通りだ。けどな――」
 目前まで迫る火精王の体。結界を張ったものの、熱気にむせ返りそうになる。
 それでも夕莉は手を止めない。それどころか、その顔には余裕の笑みさえ
浮かべていた。
「僕は焦がれ、焼き殺されるほどバカじゃねぇんだ」
 宙に綴った文字の羅列。
 それを構築する最後の文字――魂が記憶している、忌々しい言葉を紡ぐ。
「――賢しい限りだ……陰の魂」
 血の文字を目にした火精王の姿がぶれる。
 地上でそれを見上げていたキルケの眼が見開かれ、信じられないものを目
にしたかのように口を開いた。
「なぜ……その言葉を――」
 最後の一文字を火精王の額に綴った刹那、その姿は四散し、微弱な精霊へ
と姿を変える――否、あるべき自身の姿へと戻ったのだ。
 解放された精霊達が喜びの歌を謡う。
 歌声に包まれる中、夕莉はその言葉を口にした。
「僕はアンタなんだろ? アンタにできて、僕にできないことはねーよ。
 なぁ……? 真実を一つ削って、死……にすんだろ?」
「――無駄な足掻きを」
「知ってっか? そーいうセリフ吐くのは、負け犬だけなんだよ」
「負け犬? 何を言うの。ここで互角としても、あなたの国が負ければ――ニヴ
ルヘイムが負ければ、事実上あなたは消えることになるというのに」
「……へぇ、なるほどな。そっちが狙いか……」
 いつのまに張られていたというのか。
 周囲を包んでいた結界が解かれ、それと同時に大量の法術の匂いが漂い始める。
 法術に耐性のある夕莉を封じれば魔族ばかりのニヴルヘイムを落とすのは
容易いと判断しての行動か。
 ――双紅の大魔道士が訪れれば、動かずにはいられない。
「人間の味方すんのか……最低だな!」
「なんとでも言えばいい。
 いまや私の魂は人間に縛られ、私の右目は新たな法術士を作る道具となった!
 ムスペルヘイムはニヴルヘイムを潰すためだけに、全てを巻き込む戦を始
めたのだから!」
 聞き覚えがある言葉――しかし、それを聞いたのは自分ではない。
 目の前で言葉を発している女が聞いて、告げて、記憶した言葉なのだろう。
夕莉はその意味を理解できないもどかしさに唇を噛み、怯えていた大鎌の柄
を握った。
「……カロン。今日はハードだぞ」
 小さく呟いて、夕莉は急降下する。
 風を全身に浴びて、崖に立つキルケへと。
 法術に消される魔族の魂の嘆きが耳朶を叩く。
 ――絶望の歌が始まる。



――まだまだ雨は、止みそうにない――