序章「紡ぐ言ノ葉」

 それは偶然。召喚術を試していたその日の出来ごと。古の化け物を呼び出さんと描いた法陣。
 魔術書の古代文字を当時の発音ままに発声し、舞いにも似た動きで印を切る。
「闇よりきたらば深遠の悪夢 想を統べる漆黒の王 音より生まれし 永久なる無想 我は汝を欲する悠久の旅人
 ――いざ開かん 時渡る門!」
 空気の温度が変わる。ビリビリと振動する周囲に皮膚が強張る。
 彼女は歯を食いしばり、法陣から出ないように踏ん張った。
 轟音と共に顔を出すのは重々しい雰囲気をまとう黒い門。
 そこに佇む門番の手によって、門が開け放たれた――
 息を呑み、その姿を目に焼き付けようと双眸を見開く。
 姿を現す――古の化け物。その姿は、
「ん? ここはどこ?
 アララ? セシル? …何が起きたのだか」
 ヘッドフォンをつけた女性が、周囲を見回しながら立っていた。
「どういうこと? 人間よね…魔術書と違う結果が出るなんて」


 ――出会うはずのはい二人、事故にて出会う?

第一話「異世界の軍人」

 どこからどう見ても人間の女性。確かに髪の色も目の色もおかしいが、それでも魔の薫りはどこにも感じられない。
 少なくとも、彼女は魔族ではなく人間なのだろう。
「あなた………」
 声をかけようとする少女と呼んでも違和感のない年の頃の娘は、少し声のトーンを落とした。
「む、私はシュタットツェントルム軍暗殺部隊所属クララ小隊隊長クララ・クラリス大佐だ。
姿を見ると民間人じゃないようだけど、説明はできる?」
 彼女の告げた言葉はそれ自体が微力な魔を宿しており、目の前の女性――クララもまた、魔を扱える人物なのだろう。少女はどこか冷めたまなざしで、
「私はセフィー。魔法使いをしているわ――協会には所属していないけれどね。あなたに一つ質問があるわ」
「なんだ?」
「あなたはどこから来たの?」
 彼女の言葉にクララは困っているかのように首をかしげた。
「ソフィアのシュタットツェントルム。気付けばここにいた」
「門のことは?」
 クララは口許に浮かべっ放しの笑みを消し去ろうともせずにただ、空を仰いだ。
「門番は言ったよ。
門は開かれたって」
 間違いない。確信したセフィーはクララへと頭を垂れた。
「ごめんなさい。召喚事故のよう。本当はあなたを呼び出す予定はなかったの」
「そう。不測の事態は多々あることだが…私は帰れるのか?」
 クララの問いにセフィーは言葉に詰まった。

 ない、と言えばない。

第二話「捜索中の背中」

 古びた図書館。そこの貯蔵数はこの国一。しかしそれゆえに使える人間は限られている。
 セフィーとて通常ならば入ることすら叶わないしかし――
「お前の姉は権力者か」
 彼女の言葉にセフィーが顔を強張らせる。浮かぶのは憎悪にも似た感情。その顔を見ていたクララは口許に笑みを浮かべたまま、
「姉が権力者ならお前に降り懸かる火の粉は皆無だな」
「禁書を探すから静かにして」
 冷たい声。向けられた背を見ていたクララはポカンと口を開けたまま、セフィーの肩へと手を伸ばした。
「本の名は? 私も探そう」
「いいわよ。私一人で…やれるから」
 姉の姿が脳裏に浮かぶ。権力者――確かにそうだ。だれもが羨む存在。 もしも自分が自分でなければ、今までにであった人間たちと同じように焦がれていただろうか?
 彼女は展示されてる姉の肖像画へと目を向け、すぐにそらした。
「ふむ…なるほど、あれがお前の姉か…なるほどな…」
 クララの呟き。
 頭の芯が冷たくなった。
「お前を大切にしてくれるだろう?」
 気を抜けば――暴言を吐いてしまいそうな気がした。

第三話「姉の言い分、妹の言い分」

「知らないわ、もう何年もあってないもの」
 言葉を飲み込み、差し当たりのないことだけを口にする。
「姉妹なのにか?」
 不思議そうにしているクララの手は、何かを探すように宙を泳いでいる。赤い瞳がそっぽを向くセフィーを眺めていた。
「姉妹でも会わなくなるわ…私はあの人とは違うもの」
「何故、そんなことを言う?」
 何故、はこちらのセリフだ。他人に聞かれて気軽に答えられるようなものか。セフィーはクララから目をそらして、本棚へと神経を集中させた。
 その後ろを彼女はウロウロと歩いている。
「私にも弟がいるが、今でも顔を合わせるぞ」
「それはあなたのところが仲良しなだけでしょう?」
「ふむ、殺しあいをするのは仲がいいということなのか」
 クララの言葉にセフィーは両目を見開いた。確かに仲はよくないが、自分と姉は殺し合いなどしなければ――否、そもそも自分が避けているだけに近いのだ、生まれてこのかたケンカというケンカをしていない。
「アララは…まぁ、私の弟は性格がなかなかに悪くてな。上に敵を作らないために私は昇進し続けたのだが、結局退役して家を出ていってしまった…それもあいつの選択だがな」
 淡々としているが、彼女の言葉には微かな悲しみがあった。
 その姿が、姉とかぶる。

――私が宮廷にはいったらセフィーちゃんも楽できるね――

 消えろ。

――セフィーちゃん、どうして?――

 耳障りだ、消えろ。消えてしまえ。

「お前の姉も、お前を守るために戦ってるんだろう?」
「――そんなわけない!! あの人は力の劣る私を見下しているだけ!」
「セフィー、それ以上言えば私はお前を斬る…姉として」

第四話「和解と事実」

 クララの言葉にセフィーは全身を強張らせた。今までに聞いたことのないような恐ろしい声と言葉に、彼女は恐怖を感じていた。
「ほ、本当のことだもの。父さんも母さんも…みんなあの人のことばかり。私のことなんて認めてくれないのよ」
「………姉にとって、妹も弟も、情を注ぐ対象だ。自らの自由を失い、権力に縛られながらも、その権力によってお前が守られているようにな」
「守られてる? 馬鹿なことを言わないで…あの人が、いなければ」
 セフィーの顔が怒りにゆがむ。声が次第に大きくなっていた。
「あんな目にあわなかった!」
 涙の滴、ひとひら舞い落ちる。
「姉が権力を手にいれてからはどうだ」
「………」
 冷静な言葉にセフィーはうつむいて考えた。まるで過去を思い出すかのように。
「お前の姉も私と同じだ。守るために強くなるしかなかった。
 自由と引き換えにしても惜しくないほどに大切なんだ、お前が」
 ――不思議だ。あれほど胸を焦がしていた怒りが、憎悪が、溶けて消えて行く。
 こんな、見しらぬ女の言葉一つで。
「…あなたをおくりかえしたら…会いにいこうかしら……姉さんに」
「きっと喜ぶ。
 そうと決まれば私は帰るとしよう」
 クララのブーツの底が床を強く叩く。刹那、漆黒の門が顔を出す。
「私は赤児の時に通ったからな…造作もない」
 不意に、彼女の視線が別の方向へと向けられる。
「阿修羅姫将軍…出陣シセリ…」

最終話「あなたに、お前に、会えてよかった」

 門よりいずる異形の化け物。その腐臭に顔をしかめるセフィーの横を鋭い鉤爪が振り下ろされ、硬い床が砕ける。
「く…炎は舞う鳥より早く、速く!」
 セフィーの放った炎の弾丸は牛悪魔にも似た化け物の鼻先に当たって弾ける。
「効かない? なら――」
 次の詠唱を始めようとするセフィーにクララの凛とした声が響く。
「指示に従え!
 水属性の魔法を天井に」
 クララが疾走する。その身のこなしは魔法使いとは違い、俊敏なものでありセフィーはそれを目で追うのを諦めた。
「揺れる水面、紡がれる力強き激流――」
 感覚で、空気の流れでクララの位置を読む。紡ぐのは姉が造り出したもっとも新しい魔法。
「母なる優しさよ今!」
 使うことをためらっていた――姉との絆。自分のためにと造ってくれた、優しい魔法。
「千切れた楔は絆!」
 自分の内の魔に馴染む力が両手から放出される。それは牛悪魔を飲み込み、クララの微かな足音をかき消した。
「よくやった、あとは任せろ――アクア・ルーナ・ファートゥム」
 静かな声とともに両手の指の谷間に挟まれたナイフが投げられる。それらはありえない軌道を描いて、広がる水流の流れを変えて行く。
「任務完了までカウントダウンだ」
 人のものではない声が響き渡った――


 純白の世界が広がる。一瞬だけ触れた手。
「…あなたに会えてよかった」
 届いたかなんて、無粋なことなんて考えない。彼女はゆっくりと意識をあるべき場所へと戻した。

 

エピローグの案はあるけれど書くかどうかは気まぐれで