それが愛というならば――
「わたしは、あいを、しんじない」
雨が降る中、少女は部室で一人きり。誰を待っているのか、浮かない顔で
自分のラケットのメンテナンスをしている。試合までは遠くない、練習量として
は申し分ない数をこなしている。
しいて言う不満は――相変わらず、両親が帰宅しないこと。
双子の兄と二人きりで過ごすあの時間は冷たすぎる。
彼女は一度肩を落とすと、ドアノブがひねられる音に反応して背筋を伸ばした。
「や、待たせちゃったねー」
雨に降られたか、学ランを濡らした同級生に彼女は何も言わずにタオルを差し
出した。
「お、優しいねー。アリガト♪」
誰相手でも浮かべる笑みを浮かべて、彼は髪についた雫を拭き始める。雨の匂
いが室内に漂う。嫌いな匂いじゃない――けれど、好きでもない。
「んー? なんか、今日は機嫌が悪いのかな? ヒカリちゃん」
背後から抱き疲れ、彼女は息を呑んだ。
咄嗟に浮かぶ感情を消し去り、普段どおりの笑みを浮かべる。
「そんなことないよ。ちょっと、雨だったからね」
「そっか。そうだよね………今日は、こんなにいい日だもんね」
浮かべられる笑みが偽者なことを知っている。
彼がいかに獲物を上手く捕まえ、捕食するか。その笑み一つで何人もの獲物が
喰われていくさまを見た。バカバカしいと思う。
「おれねー、やっぱりヒカリちゃんが一番いいと思うわけよ」
手にしていたラケットを机の脇に置いて、指に唇を這わせる。ゾクゾクと背筋に悪
寒ともとれないものが走り、ヒカリは目を細める。
その間にも彼は器用に彼女の髪を縛っているゴムを外し、その髪を撫でる。
「躯の相性も抜群だし、ヒカリちゃんは煩くないしね? いつもいつも」
「あ」
先日の家庭科の時間に怪我した場所を舌で触れられ、痛みと混ざった不可思議
な感覚に思わず声が出る。その声の妙な響き方に、思わず彼女は口をつぐんだ。
「あ、痛かった? ごめんごめん」
絶対悪いと思っていない。そんな謝り方をしながら彼はヒカリの指を軽く噛む。
「ヒカリちゃんみたいな子っていいよね。安心するよ」
手が、ブラウスの中へと入り込む。
雨に濡れたせいで冷たい手が、火照った躯を冷まそうとまさぐるのか、それとも――
いっそのこと炭にしようとでも言うのか。
上昇していく体温に慣れることはなく、息苦しさと熱さから涙が滲む。
呼吸が上手くできていないのではないかと疑いたくなってしまうほどの息苦しさに、思
わず口を開く。
「はっ、ぅ…っ……」
「あ、やっと声出してくれたー。よかったー、おれの腕が鈍ったのかと思ったよ」
嬉しそうに笑われ、胸に痛みが走る。
――誰にでも、そう言うと知っているから?
「まぁ、このサイレント具合がヒカリちゃんのいいところでもあるんだけどねー?」
ブラウスを脱がさずに、中の下着だけ外してそれに覆われていた乳房に触れる。そ
こまで大きくはないが、まったくない、というほどではない――よく言えば年相応のそれ
に触れ、手馴れた様子で揉みしだく。
「んー? 最初のころより、大きくなった? おれのおかげ?」
「………っ、う…る、さっい」
懸命に反論しても、その声が鳥肌が立つくらいに甘いものだと気付いて、彼女は慌て
て両手で口を塞いだ。自分で自分が情けなくなる。
これじゃあ――変わらない。
「うーん。やっぱりかわいいね」
顔を近づけて、頬を舐められる。
「ね、ね? おれさ、酷いことするから! だからね」
スカートの中に、手が伸びる。恐怖が、憎悪が、期待が、混ざって混沌とする。
「おれを殺したい、って思って睨んでよ」
無邪気なその顔で、告げられるいつもと同じ言葉。
自分だけに告げられるその言葉――
「じゃ、よろしくねっ」
待て、と叫びたい。それでもこの口は乱れた息を吐いて、酸素を求めて。
それ以外は言葉にもならない嬌声。なんて弱い生き物か。
「や……ぁ…っ」
激痛が、躯の奥で疼く。
いつになっても、慣れない。この痛みには慣れない――
「ね、憎いよね? おれがむかつくよね? 早く睨んでってばー」
昂揚した声で、顔で、深く深く突き刺しながら告げる彼の顔を、彼女は全力で睨む。
普段は優しげなその顔に浮かぶは、双子の兄とよく似た顔。
「そう、それが見たかったんだよ――ヒカルちゃん」
彼が自分の名前を言い違えたわけではないと知っているからこそ、彼女は両親を恨
んだ。いい加減な名前を付けてくれて――アリガトウ。生涯赦さない。
憎悪が渦巻いて。
体を犯す熱が愛しくも、疎ましくも感じる。
「は、あっ………だ…も、や…ぁ」
机に爪をたてて、大粒の涙をこぼしながら叫びたい衝動を押さえ込む。ただ本能がま
まに暴れる女とは違う、自分はあの女とは違うと言い聞かせながら、抱擁を求めるそ
の腕を無視した。
「ほん…っと、クールだよね…ヒカルくんと、同じ…そういうとこも、大好きだよ」
紅潮した顔、恍惚の笑み。
征服した気分はどうだ。
冷静であったならば――そう問うことができたのに。
「くっ………あ、ぅ…」
今はもう、何も考えたくない。考えられない。
体内の熱が夢であれば――いいのに。
それでも、この体内を、自分が女であるという証である箇所を引き裂くかのような痛みと、
熱と耐え難い悦楽は現実そのものだった。
意識のすべてをもっていかれそうになるのを堪えようと唇を噛み締める。鉄の味が、口の
中に広がる。
「もっと啼いて。わめいて…罵詈雑言を浴びせてよ」
彼の大きな手が、頭を鷲掴みにする。兄とは正反対の色に染めた髪を引っ張られ、痛み
に顔が歪む。それでも躯は快楽に反応して雫をこぼす。
「おれを殺したいって叫んでよ………ほら、ほら…もっと、酷いことしちゃうよ」
「い、あっ…は…あ、あっ?!」
首筋に歯を立てられて、肉を食い千切られるかと思うほどに強く噛まれる。
激痛と下半身の快楽が混ざり合い、どちらが理由で浮かんだ涙だかわからなくなる。
「ねぇ………その瞳、大好き。だからさ、だからさ」
躯の奥で熱が疼く。
もはや痛みは感じない。感じるのは離れがたい悦楽――何かを求めようと、手が宙を泳ぐ。
その手を掴んだ彼の瞳には嬉々とした、何かが浮かんでいて。
まるで、玩具を手に入れた子供のような瞳だった。
「おれの子、孕んでよ。中で出すからニンシンしてよ」
「なに、い…って………」
抵抗しようと、殆ど力の入らない足を浮かせるが、その足に強い衝撃が走った。殴られた
のだと気付くよりも前に、絶対的な恐怖が全身を支配した。
「怯えてる、顔もすごくかわいいね………おれ、止められないよ」
躯の内側の熱の様子が変わる――今までにはなかった恐怖、なかった悦楽。
禁忌の儀式の中で彼女は涙を浮かべ、その瞳に恐怖を憎悪を交えて――――
「あいしてる…って、言ったら………考えなくもない」
吐息交じりの声で告げる。背中に腕を回して、爪を立てて、誰よりも深く、この痛みを刻む。
「もちろん………愛してるよ。―――ちゃん」
耳の奥に響く甘い声。
躯の中で弾ける熱。彼女をただの女に変える熱が侵食していく。
気だるい意識の中で、乱れた制服を整えている彼へと手を伸ばそうとして―――やめた。
雨が降る。
カサをさして一人で帰る。
家で待つ、双子の兄と顔を合わせて笑う。
ねぇ、知ってるよ。気付いてるよ。
――好きなのは私じゃなくて兄さん。欲しいのは兄さんの請う顔。
――もしも、もしも、これが本当に私への愛だとしたら?
「私は…愛を、信じない…」