純白の仮面を身につけた青年がいた。

 周囲に散乱した夥しい量の肉片。大地を染める真紅の泪。

 それらを踏みつけながら、彼は何の感情も抱かずに青く澄み

渡った空を仰いで、その旋律を紡ぐ。それはかつて彼の故郷、

狭い島国で――それでも億単位の人間がいる国で絶対的な支

持を得、彼を天才と謳われるものに相応しい存在へとさせた歌。

 万人が知るといっても過言ではない、その歌を歌いながら彼は

倒れたままのマイクスタンドを起き上がらせる。そのマイクスタン

ドを中心に置かれている四つの楽器。

 その傍らには旧友であり、同時に仲間だった――仲間であった、

者たちの姿。

「………葵、怜、旭、焔………」

 それぞれの名前を呟きながら、その旋律は絶望を奏でていく。

 神々をも魅了するその歌に惹かれ、降りてきた太陽神。うっとりと

その歌に聴き入っていた太陽神は真紅の瞳で彼を見た。

「素晴らしいね。ボクとしても鼻が高いよ」

 両手を広げて周囲の血を消していく。観客席にまで飛び散った血

液は消え、肉片は集められて元の形へと再生をはじめていた。それ

を見ながら歌う彼は、倒れたままの仲間だった者たち一人一人の前

へと順に立った。

「葉月葵、猫とドラムをこよなく愛する男」

 まだ目覚めない、その頭へと手を置く。

「有栖怜…気まぐれでベースが彼女の変なヤツ」

 血に染まっていた、その手で銀色に染めた髪を撫でる。

「南…旭。ベースで弾き語る音ゲーマニア」

 固めすぎて髪の毛には見えなくなっているソレを指先で突付いて。

「鈴堂焔…ブラスバンドマンだったのにこっち来てくれたいいヤツ」

 几帳面に整えられた髪を撫でる。

 ――彼らと、別れを惜しむように。

「準備はできた? ボクと一緒に来るんでしょ?

 姉上も喜ぶよ…姉上はお前の誕生のときから見ていたからね」

 無邪気に笑う彼へと目を向けて、青年は仮面を外す。仮面の下に

あるのは神がかり的な美貌の持ち主――鳶色の髪と、澄んだ色をし

た青い瞳。浮かべられたうす笑みは虚しさに満ち溢れて。

 ――それでも、その瞳は光を失わずに前を見ている。

「俺は神々の切り札にならねぇ…アルテミスには夢でも会えるからな」

 成人した男ではあるが、その声は中性的――それでも、男らしさは失

わない不思議な声。すべての人間だけではあきたらず神ですら魅了す

る魔性の声のように感じられた。

 彼の言葉に太陽神は真紅の瞳を見開いた。余程驚いたのか、その瞳

から小さな炎が生まれる。

「なんで? 光栄なことだろう? 人間の分際で天界に行くなんて」

 心底不思議そうに聞く太陽神の肩に手を置いて、彼はすっかり修復が

終わって元に戻ったドームの天上を見上げる。スポットライトが眩しい。

「俺は神月悠。同じ夢を持った仲間と数多の旋律を紡ぐ歌い手。

 けど、仲間はもういない。夢が違ったんだ、俺とあいつらじゃ。

 だから俺はもう歌わない。

 この世界に未練もなければお前の手伝いをする気もないからな」

 太陽神の炎を指先で絡めて、弾いて消し去る。

 何を考えているのか理解できない、青い瞳が太陽神を映した。

「切り札とかってのほかの人間に任せるとするぜ」

 青年は太陽神に背を向けて、ステージの上から観客たちを見下ろした。

「俺は、自由が好きなんだ」

 浮かべられている笑みは仮面の笑みでも、観客たちに向けられた笑み

でもなく――彼自身が浮かべる、邪悪な微笑。決して他者と相容れること

のない彼の数奇な運命が作り出した笑み。

「適したヤツの心当たりならあるからな。

 神薙結依って子のところにいきな。あの子はいい人形になる」

 彼の発言に太陽神は口元に笑みを浮かべた。

「他人を犠牲にして自分は自由になろうって魂胆? 最低だね」

 楽しそうに笑う。侮蔑の意をこめられたその言葉に青年は苦笑した。

「他人じゃないさ。妹みたいなもん」

「驚いたよ。

 人間は情、情と叫ぶわりには血縁者に近しい者を犠牲にするんだね」

 大げさな仕草で驚いた素振りをわざわざ見せる太陽神を振り返って、彼は

小さく息を吐いてから天井を仰いだ。空は見えないけれど、あの空の色は覚

えている。

 その空の色を写し取ったかのような青い瞳を瞼で覆い、彼は口を開く。

「犠牲犠牲言うなよ。

 俺は信じてるだけ、あいつの可能性も、あいつの強さも…あいつは

自由になる力がある。俺とは違うからな…足が速いから、追いつけないんだ。

 絶望が――」

 再び紡がれる旋律。

 それは彼自身が名乗った名前と同じ――道化師の名前。

 絶望を奏でるその歌は彼の心境か、それともこれから選ばれる少女への謝

罪の歌か。年若い神に理解できるはずもなく、太陽神は真紅の炎を怒りに細

めて、その白い腕で印のようなものを結んだ。

「もったいないけど、その歌…もう聴きたくない」

 冷たい声。

 周囲の空気まで冷え切って――

「ボクを裏切るなら地獄に堕ちろ。

 もう、顔も見たくない! ――――」

 叫ぶように告げて、炎が彼だけを呑み込む。酷く苦しい、それだというのに

彼は微笑を浮かべたままポケットの中にずっと入れていた宝物を、大切な女

の子がくれたロケットを手の中に握りこんだ。

「………結依………」

 

 

「おにいちゃん、どうして今日は泣いてるの?」

 

 いつでも、隠している心を知ってくれた。

 

「おにいちゃん? いやなことがあったの?」

 

 いつでも、そばで救いの手を差し伸べてくれた。

 

「ゆいね、おにいちゃんが元気な方がうれしい」

 

 その笑顔はいつでも俺を支えてくれた。

 これからは俺が護るから。

 忘れても忘れないで。

 

 

――ずっと、歌いながら見守ってる――

 

 歌が消えて、青年が消える。

 静寂に包まれた世界で人間たちは目覚める。

 彼を忘れて。

 

 

 歌が響いて彼が消えて。

 少女はわけも分からないまま走り出した。

 大切な人がいない、空虚感に襲われて走り出す。

 泣きながら走って、走って、走りつづけて――

 

 いつの間にか、彼のことを忘れていた。

 ゆっくりと歩き出す彼女を急かすのは、あの純白の仮面。

 

 赤い花園より聞こえるのは――